万葉集研究で有名な上野誠氏の新書本「万葉集講義-最古の歌集の素顔」のレビューをしてみたいと思います。
上野氏は、専門は日本文学や民俗学のようですが、その枠にはまらない活動をなさっていて、最近はyoutubeなどでもお見かけします。氏の著作は、私のような素人にも分かり易いものが多く助かります。「天平グレート・ジャーニー 遣唐使・平群広成の数奇な冒険」のような、歴史小説もあってまさに変幻自在ですが、奈良大学名誉教授であることからも分かるように、奈良を愛し万葉集オタク(?)としても非常な情熱を感じる方です。
今回この本を読もうと思ったのは、若い頃に読んだ伊藤博氏の「万葉集」上下(角川文庫)をひさしぶりに読み返したからです。これは「新編国歌大観」準拠かつ文庫ということで大変便利ではあったのですが、註だけで現代語訳がなく、ひたすら苦行のように読んだ記憶がよみがえりました。(今は現代語訳もついた改訂版が角川ソフィア文庫から出ています)。同時に、当時の私は(今もそうですが)「万葉集とは何か」というようなことを考えずにただ読んでいたので、肝心なところが分かっていませんでした。それで、今回あらためて分量的にも読みやすい本書を読んでみることにしました。
以下若干の感想を書きたいと思います。なお、今回は電子書籍で購入したため、紙媒体の当該ページ数を表示できず、引用元は目次の「見出し名」を記載しております。
万葉集とはなにか
本書はまず「万葉集とはなんであるか」というところから始まります。
一口に語るには勇気がいる。ここに蛮勇をもって語ると、四つの要素を持っているように思う。
「万葉集講義-最古の歌集の素顔」――「はじめに」より
一、東アジアの漢字文化圏の文学としての性格を有する。
二、宮廷文学としての性格を有する。
三、律令官人文学としての性格を有する。
四、京と地方をつなぐ文学としての性格を有する。
これは著者も言うように、現在の専門家であれば、程度の濃淡はあるにしても同意することと思います。特に、中国の漢字文化圏の文学であることや、宮廷や官人の文学であることは近年強調されるようになりました。私が若い頃のイメージは、防人の歌や貧窮問答歌、東歌など、民衆の素朴な文学という勝手なイメージがありましたが(もちろん大王の歌もあるとはいえ)、その実態が正しく理解されるようになってきたのでしょう。
この点については冒頭でこういう一文もあります。
『万葉集』には天皇から庶民までの歌が採られているという言説についてである。こういう言説が『万葉集』を「国民国家」の歌集として位置づけるために吹聴された説であるということについては、品田悦一がその著『万葉集の発明』で説いたところであり、それは正しい。その担い手の大多数は、宮廷社会に生きる貴族達であり、『万葉集』は貴族文学であるということができる。が、しかし。その一方で、あくまでも平安朝以降の歌集と比較しての話だが、『万葉集』が意図的に身分の低い人びとや、地方の人びとの歌を採用しようと努力していることも、事実である。これは天皇や貴族の「徳」を示すことにつながるからである。(中略)これは儒教思想に基づくものということができる。
「万葉集講義-最古の歌集の素顔」――「はじめに」より
著者はこのように、冷静な『万葉集』観をもちつつ、熱い『万葉集』愛を語るのです。
『万葉集』愛については、本書をじっくり読んでいただくとして、ここでは「冷静な『万葉集』観」の方に軸をおいて紹介したいと思います。
万葉歌も、総じて恋情発想だ。従って・・・恋と四季の文学といえるのである。(小見出し「日本文学史のなかで」)
平仮名、片仮名が普及すると、ヤマト言葉を漢字のみで記した『万葉集』は、きわめて難しいものになって、平安時代の文人たちも、そのほとんどが読めなくなっていたのである。(小見出し「日本文学史のなかで」)
「万葉集講義-最古の歌集の素顔」――「第六章『万葉集』の本質は何か」より
今日の私たちは、国民国家の枠組みのなかで生きており、そのなかで『万葉集』は『源氏物語』と並び称されるいわゆる「国民文学」となっている。しかし、それは、正岡子規(1867~1902)の『万葉集』再発見、再評価以降のことである。古典というものは、休眠と覚醒の繰り返しのなかで読まれ続けている書物をいうのだが、歴史的に見ると、現代ほど『万葉集』が尊ばれている時代はないといえよう。(小見出し「『万葉集』から『古今和歌集』へ」)
こういった分析は、『万葉集』成立期以降、現代にいたるまでの受容と評価についての実態を良く示しています。
同じようなことは、かなり昔に読んだ湯浅泰雄氏の「古代人の精神世界」という本にも書かれていました。湯浅氏は心理学や哲学がご専門だったと思いますが、歴史学者とはまた違ったアプローチが新鮮だったと記憶します。以下に少しだけ引用いたします。
近世以後のナショナリズム的風潮の下では、万葉の世界を「ますらおぶり」としてとらえる見方が強調されてきたが、これは武士的気質に共感した賀茂真淵や、明治ナショナリズムに影響されたアララギ派的万葉解釈である。しかし万葉の自然観は本来男性的なものではなくて、自然に対する古代人の畏怖の信条を反映しているものである。言い換えれば万葉から古今への転回は、畏怖において大自然を見た古代神道的エートスから、母なる大地に抱かれる国風文化への発展を示している。この過程には、古代の荒ぶる神が仏教的世界観との習合を通じて馴化されて行った歴史がある。
「古代人の精神世界」湯浅泰雄 p242 (太字は傍点)
さて、こういった前提の下で、著者は『万葉集』から『古今和歌集』を経て、ずっと受け継がれたものがやまと歌の源流になると強調します。(著者曰く「やまと歌的人格」)。そして、それが日本人の国民性にも大きな影響を与えていると説きます。このあたりはもう「万葉愛」になりますので、本書を是非お読みください。
「『文選』なくして『万葉集』なし」
この本で議論になるのは「『文選』なくして『万葉集』なし」の部分でしょう。本書の書評やレビューでも、この点に同意出来ない方もおられるようです。ただ、本書をよく読んでみるなら、その意図を理解できると思います。(もちろん、意見は様々あっていいはずです)。
まずその部分を引用します。
中国の詩文集である『文選』(六世紀前半成立)を学ぶことによって、漢字を学ぶことのできる貴族層の歌から、歌は個人の心情を表現するものに変わっていったと思われる。『文選』なくして『万葉集』なし、ということができよう。
「万葉集講義-最古の歌集の素顔」――「第一章 東アジアの漢字文化圏の文学――発展に要する時間の短縮」より
まず、『文選』とは何でしょうか。
中国の詩文集。六〇巻(もと三〇巻)。南朝梁の昭明太子蕭統編。530年頃成立。周代から南北朝にいたる約1000年間の作家百数十人のすぐれた詩・賦・文章を,文体別・時代順に編集してあり,中国の文章美の基準を作ったものとして尊重された。日本にも早くから伝わり,日本文学に大きな影響を与えた。
「大辞林」
・・という重要な詩文集です。上野氏は『文選』の影響については以下のように解説します。
注釈ができ、文選学が確立したからこそ、東アジア漢字文化圏の大地に蒔かれた種子のごとくに、『文選』は広がったのである。『文選』の学知の辺境で咲いた花の一つ、いや草の葉一つが、『万葉集』なのだといえよう。『万葉集』のみならず、日本の古典はなべて中国の詩文を踏まえるものなのである。
「万葉集講義-最古の歌集の素顔」――「終章 偉大なる文化遺産のゆくえー文選の学知の淵源」より
さらに以下のように言います。
私は、『万葉集』はもっとも日本的で、もっとも中国的な文学であると、常に学生たちには語っている。源流を遡れば、必ず日本に辿り着けるというのは大間違いで、源流を遡れば遡るほどに、中国文化に辿り着くのである。
「万葉集講義-最古の歌集の素顔」――「終章 偉大なる文化遺産のゆくえー梅花宴序の「古」と「今」と」より
これは、言い方がかなりセンセーショナルなので、なかなか受け入れにくい学生もいたでしょうけれど、これは遺伝的な「起源」の話ではなく、あくまで文化的な「源流」の話なので、そのあたりを間違えないようにすべきではあります。
川を遡れば源流に至るのであり、系統樹なら幹に至ります。(日本的なものは「川下」なので当然「日本には辿り着かない」)。その意味では、「川上」の「中国文化に辿り着」いたその後も流れは続いており、中国文化も支流の一つとなって、さらにその「源流」と思われるものへと続くわけです。(「源泉」は果たしてどこにあるのでしょうか・・それもロマンですね)。
上野氏が言う「『万葉集』はもっとも日本的で」という言葉は、万葉集こそ中国文化という「源流」から分かれる分岐点だという意味かなと思います。その分岐した文化の「川」は、まさに今に続く「日本的」なものなのでしょう。
川を遡れば、「風景」はどんどん変化し、日本的も中国的もない世界へと辿り着くのは確かです。文化の発展にしても単純な系統樹(川の流れ)で綺麗に描けるものでもありません。いずれにしても、歴史を学ぶには柔軟な発想や、大きな視点が常に必要ですね。
記録上の中国との関わりは漢代(弥生時代)から残っているとされますが、後漢の王充が書いた「論衡」には、日本の縄文晩期の周の時代に、倭人が朝貢したという記述があります。(成王之時、越常獻雉、倭人貢暢)。ただこれは、西周の成王の時とされるので西暦前1000年ごろです。「論衡」の著者王充の時代とは1000年の開きがあるので、情報の信憑性への疑問や、倭人が本当に日本列島の倭人を指すのかなど議論はあります。
少なくとも、中国の正史に記録が残る弥生時代からは、中国文化の影響を受けながら発展してきたわけなので、中国の文化を貪欲に取り入れた先人達の意欲や知恵にも敬意を表したいと思います。
『文選』の影響は非常に大きなもので、有名なところでは後代の枕草子に「書は文集・文選」とあるごとく重要視され続けます。(ちなみに「文集」は白氏文集のことですが、現在は「ぶんしゅう」と読みます)。
このように考えると、「『文選』なくして『万葉集』なし」という言葉は決して間違いではないのです。
ただ、一つだけ贅沢を言わせていただければ、漢代楽府や唐詩の影響なども論じていただきたかったです。
上野氏の『万葉集』愛あふれる結論
上野氏の終章での総括にはこうあります。
ただ、わたしは、グローバル化のなかでの日本回帰、万葉回帰をあからさまに否定したくない。というのは、いつの時代も、文化の辺境に生きる私たちは、そうやって心のバランスを取ってきたからである。やはり、私は、「もちろん、杜甫と李白は世界文学だよ。でも『万葉集』だって、世界の『万葉集』だぞ。これは、日本の、いや世界の宝だ――」といいたいのである。一方、やみくもな礼賛言説に対しては、「『文選』なくして『万葉集』なし」と言ってバランスを取りたい、と思う。
「万葉集講義-最古の歌集の素顔」――「終章 偉大なる文化遺産のゆくえー休眠と覚醒の『万葉集』」より
今、私が、本書を世に問う理由は、次の一言に尽きる。
それは、『万葉集』そのものが、東アジア漢字文化圏の同調重圧のなかで、もがき苦しんだ先祖の文学であったということを少しでも多くの人びとに知ってほしかったからである。
このあたりは上野氏のバランス感覚が大変優れていると思います。結局学問的には、今の我々が感情的に同意できるかというより、当時を生きた人達がどう思っていたかの方が重要なので、上野氏のような視点には今後も耳を傾けてゆきたいと思いました。
ただ、一部の解説は推論の域を出ないものもあります。また漢籍に関しての説明は一部首肯できないところもありましたので、いろいろな参考書との比較がよいと思われます。
いずれにしても昨今は、古代アジア圏を関連づけてグローバルな視点から考える学問も進んでいるようなので、今後の研究にも期待したいと思います。
著者は、「『万葉集』を限りなく限りなく愛おしいものに思ってしまうのである」(「あとがき」)と述べるほどの『万葉集』オタク(失礼な言い方ですが)です。引き続き、『万葉集』愛に満ちた著作を世に送り出していただきたいと思います。
以上お読みいただき、ありがとうございました!
以下は、今回レビューに含められなかった本や読書中の本です。