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書評:「人権の歴史」(ミシェリン・R・イシェイ著)

アイキャッチ 世界史

ひさしぶりの引越記事(再投稿記事)です。10年前に書いた書評です。元記事はそのまま写し、最後に追記をしております。

人権の歴史
明石書店
聖書の時代からグローバリゼーションの現代まで、人類の歴史に現れた主要な人権・人道関係の文書を取り上げて分析。その対象と分析手法は、深く文書が生まれてきた政治的、経済的、社会的、歴史的、文化的、宗教的背景に及ぶ、人権の歴史に関する学際的研究書。

最近は、国家同士の問題でも良く取り上げられる「人権」ですが、そもそも人権とは何かとか、じゃあどの人権基準が「正しいのか」などという話になると、まことに難しいわけです。

たとえば、中国やイスラム社会の「人権問題」などは、欧米がたびたび取り上げます。たしかに、中国などの場合は政治形態などに起因する人権問題は否定しえないものがあります。ただ、それでも中国やイスラムなどの歴史や国民性などからくる人権意識の相違もあります。西欧型の人権意識だけが「真理」なのかといえば、再考の余地があると思います。

それでも、西欧型の人権基準は、「便宜的に」は優秀なものではあるのでしょう。チャーチルが民主主義を評して、最悪のものであるけれども歴史上試されてきたどの政治形態よりましであるとしたことに似ている気がします。民主主義はローリスクという点でやむを得ず採用されているわけですが、人権基準も、命を至上と考える西欧型のものを便宜的に採用するのが安全と言えるのかもしれません。(もちろん、西欧にも根本主義的な宗教思想は存在しますが)。

でも、世界には、命より尊いものがあるとする考えもあるでしょうし、その考えが強い国民もいます。(信仰という問題が関係すると問題はより複雑です)。そのような考えをすぐに否定するのではなく、そう考える理由を理解するのも重要だと思う今日この頃です。

さて、前置きが長くなりましたが、この本では人権の歴史を、古代の思想から現代の思想まで振り返るだけでなく、いくつかの定説に異を唱えることで、視野を広げる助けになると思います。

宗教や政治的思想は今日では人権と真逆の行為の原因となっていることがしばしばですが、それでも多くの普遍宗教や、政治思想(特に社会主義など)が、人権の発展に寄与してきているという事実にも注目させてくれます。ほんとうに不思議なものです。

我々日本人は、いつの間にか欧米式の(つまりキリスト教式の)人権意識が常識と考えるようになっているわけですが、世界には様々な感覚があり、思想があることを改めて確認できました。もちろん、不可知論や相対主義に陥るのも危険ではありますが、自分の考えが絶対ではないと、常に謙虚であるように自戒させられた本でした。

1章では、古代の思想や宗教から人権の源泉を辿っています。ユダヤ教、キリスト教、イスラム教、仏教、ヒンズー教、儒教、ギリシャ哲学など様々な思想にその萌芽が見られ、今につながっているという論考は非常に重要だと思います。

ただ、聖書やコーラン、仏典などの本文成立過程の検証がなく、書かれていることをそのまま受け入れて論評しているのは問題だと思いました。(もちろん紙幅の関係もあるとは思いますが)。宗教の場合、信仰として受け入れられている歴史と、実際の検証によって見えてくる歴史にはかなりの差があります。旧約聖書の律法の記述なども、主張されている時代そのままには受け入れることはできない訳で、バビロン捕囚時代や捕囚後の編纂なども考慮に入れなければなりません。この点で、著者の考察は甘いと言わざるを得ません。後世への影響や、現代における解釈などを論じるだけであれば、問題はないですが、人権の「歴史」と銘打っているからには、もう少し丁寧な考察が必要と思われます。

後半の近現代部分は、難しい部分も多くて私の頭では十分な理解ができないところもありましたが、それでも戦争や人権闘争を繰り返して今があるのだなと改めて痛感しました。

今後の国際関係において一番重要なのは、結局相互理解なのだと思います。相手の行動の理由を冷静に分析すると同時に、自分の尺度だけで物事を判断しないということが重要なのでしょう。国家は常に警戒を怠らないことと共に、相手を深く理解する能力が必要ということなのだと思いました。

全体的には、非常に客観的で、欧米的な主観からの脱却を主張している点で、非常に好感が持てる本でした。今の時代にこそ必要な1冊でしょう。(ただ、できればもっと安くしてほしいです)。

(2014年3月)

この記事を書いてからもう10年たちました。このあと、世界はコロナを経験するなどして大きな変化を経験し、人権についてどう向き合うべきかも改めて考えるようもなりました。自由は素晴らしいけれども、大きな問題が起きた時にどの程度まで制限できるものかなど多くの課題が再び論じられるようになりました。その後の権威主義的な国々の台頭も世界情勢に大きな影響を与えています。当然ですが、本書はここ10年の(非常に「濃い」)人権の歴史については扱っていないので、その意味では古い本です。しかし、出版時点までの「人権の歴史」という意味ではまったく色あせていない参考書だと思います。(原書は2008年のもの)。
ただ、なにせ値段が高いんですよね。辞典のような分厚さと内容を考えればやむを得ないとは思いますが・・。現在ではむしろ古書でないと手に入りにくいようなので、以前よりは(値段という意味では)入手しやすくなっているかもしれません。


同じ時期2012年の(翻訳は2022年)参考書では以下があります。原題:”Human Rights in World History” 。よく全体的にまとまった参考書。ただ、やはり若干西洋寄りの史観であり、中国や旧ソ連、イスラムなどの情報は最後に出てくる程度でかなり不足しています。この点では、やはり今回紹介したイシェイの「人権の歴史」の方が優れていると感じました。

人権の世界史 (ミネルヴァ世界史〈翻訳〉ライブラリー)
ミネルヴァ書房
ミネルヴァ世界史〈翻訳〉ライブラリー。本書は、一八世紀に欧米で現れた人権概念の現代までの世界史を鳥瞰する。「普遍的人権」概念は様々な抵抗を受けつつ拡張と収縮を繰り返してきた。世界貿易と資本主義の拡張に伴い、「普遍的人権」概念を他地域に押しつける植民地主義的人権論は、反動を引き起こしつつも、西欧からその他地域へと広がってきた。子供、女性、同性愛者、環境保持の権利等「新しい人権」概念も含め、その成立と展開、変容を辿る。(Amazonより)

今回ご紹介した「人権の歴史」と同じ出版社から出ているのが、「歴史のなかの人権」。日本古代史の専門家、故上田正昭氏の著書。2006年と古い著作ですが、日本の歴史を大きく眺めながら考えるには良い参考書だと思います。東アジア史についての発言では度々「炎上」していた記憶がありますが、それでも重要な視点を提供するという意味では重要な存在だったと思います。大学教授で宮司、大戦の経験など著者のアイデンティティーや人生を把握しつつ読むことで、冷静な分析ができると思います。

歴史のなかの人権
明石書店
1994年、平安建都千二百年記念に設立された世界人権問題研究センター。その二代目理事長を務める著者が、同年からの「人権教育の国連10年」の歩みに寄り添い、折々の話題に触れつつ、半世紀にわたる日本の歴史と文化の、とりわけ古代東アジア史の中での検討を総括する。(明石書店の紹介より)

以上はどれもなかなか書店での入手が難しくなっていますが、古書店などを探してみることをお勧めしたいと思います。


比較的最近(2022年)では以下がお手頃。

人権と国家 理念の力と国際政治の現実 (岩波新書)
岩波書店
今や政府・企業・組織・個人のどのレベルでも必要とされるSDGsの要・普遍的人権の理念や制度の誕生と発展をたどり,内政干渉を嫌う国家が自らの権力を制約する人権システムの発展を許した国際政治のパラドックスを解く.冷戦体制崩壊後,今日までの国際人権の実効性を吟味し,日本の人権外交・教育の質を世界標準から問う.(Amazonより)