毎度「天邪鬼」な大河ドラマレビューを書いております。批判的な分析を主旨としておりますため、世間一般の論調とはかなり乖離しているかと思います。そのため、ご不快に思われる方もおられるかもしれません。前もってお詫びいたします。(以下ネタバレも含みます)。本ブログは、素人による雑多な自由研究の備忘録であり、更新もかなりのんびりしております。悪しからず。
第44話「望月の夜」感想
遂に三条天皇も譲位して崩御。そして道長の栄華が頂点に至ります。
今回は、道長と「まひろ」に関係するシーンを始め、非常に間が多い回でした。間延びと感じる人もいるかと思いますが、私はこの間が結構好きです。二人の豊かな感情が無言の中に表現されていました。
このドラマの一つのクライマックスである「望月の歌」がついに登場しました。そこに至るまでの物語展開は、かなりぼかした微妙なものでした。よく言えばいろいろな解釈の余地を残したとも言えますが、基本的に伝統的な「おごれる道長」像に沿った展開でした。ネットでは「新しい解釈」などという記事もありましたが、私はまったくそうは思えなかったです。それまでの道長と「まひろ」の描写が素晴らしかっただけに、この「望月」の場面についてはちょっと中途半端な感じがしました。(あくまで私見です)。
道長の「望月の歌」は実資の『小右記』に以下のように記録されています。
太閤(道長)、下官(私実資)を招き呼びて云はく、「和歌を読まんと欲す。必ず和す(返歌す)べし」てへり。答へて云はく、「何ぞ和し奉らざるか」と。又、云はく、「誇りたる歌になむ有る。但し宿構に非ず(即興で作ったものだ)」てへり。「此の世をば我世とぞ思ふ望月の欠けたる事も無しと思へば」と。余、申して云はく、「御歌、優美なり。酬答する方無し。満座、只、此の御歌を誦す(唱和する)べし。元稹の菊詩、(白)居易、和せず、深く賞歎して、終日、吟詠す」と。諸卿、余の言に響応し、数度、吟詠す。
『小右記』寛仁二年(1018年) 十月十六日(摂関期古記録データベースの読み下しより)
私が子供のころは、まさに「おごれる道長・藤原家」の象徴のようなイメージでした。しかし近年では別の解釈もされるようになっています。この点、いくつかの参考資料から引用しながらまとめて見ました。
この「望月の歌」について、近年興味深い考察が加えられている。道長がこの歌を詠んだ十月十六日の月は、望月ではなく十六夜の月であり、道長と実資をはじめとする公卿たちは、欠けはじめた十六夜の月を見ながら、歌を作り吟詠しているという点に注目すべきだという見解である。すなわち、この歌には、昨日の望月も今日には欠けはじめているという現実を下敷きにして、天真爛漫に栄華を誇ったのではなく、むしろその栄華のはかなさを想うという意味が込められているというのである。この寛仁二年十月という月は、大の月が四回続くのを避けるため、本来小の月だった九月を大に変更し、小の月となっているので、十六日の月が満月なのか十六夜の月なのかは微妙なところであるが、ともかく当時の貴族の美意識をふまえた注目すべき見解だろう。
『天皇の歴史3』(講談社学術文庫)
この説で有名なのは河内祥輔氏によるものですが、その一部を引用してみます。
そこで、もう一度「この世をば」の歌に戻り、これを一首の和歌として素直に読み直してみよう。そうすると、これは「望月」の「思(ひ)」を詠んだ歌であることがわかる。「この世をぱ我が世とそ思ふ」のも、「虧けたることも無しと思(ふ)」のも、それは「望月」である。
皓々と輝く満月は、まるで、この世は我が世だ、自分が虧けることなどありはしない、とでも思っているかのようだ、という趣旨であって、この「思ふ」の主語を道長と解したのでは、この和歌の仕掛けにはまることになる。道長がそのようなことを「思ふ」はずはない。なぜなら、今日は十六夜であり、月は既に虧け始めているのだから。
河内祥輔「村上天皇の死から藤原道長『望月の歌』まで」2008
これはもちろん解釈の一つに過ぎませんが、私はかなり納得させられました。こう考えると、硬骨漢である実資が「優美だ」と率直に褒めたことや、いつも日記に道長を「チクリ」と批判する言葉を書く実資がこの歌については批判していないことも納得がいきます。
また、河内氏は、並み居る公卿が感慨に浸った理由の一つとして、道長が皇統の分裂を解決して朝廷に平安をもたらしたという安堵感があったからだも指摘しています。
史実の道長は、自らの栄華を直接詠うという「無粋」を避け、栄華のはかなさを詠うという余裕(「美意識」)を見せたとも解釈できるわけです。あくまでこれは一つの学説に過ぎませんが、無視出来ない説得力を持つ解釈だと思いました。
ところで、最後のシーンで、この歌を聴いた「まひろ」が微笑んだのはなぜでしょうか。ドラマ版道長の心の中をよく理解している彼女だからこそなのか、昔を思い出したからなのか・・・。
個人的な感想としては、上記解釈を含めたあたらしい「望月の歌」観を提示してほしかった気もします。なぜなら、ドラマの道長のキャラ設定と非常に親和性が高いからです。結局なんとなく、雰囲気で押し切ってしまったのが残念です。
まとめ
引き続き体調不良で、内容が薄くなっております。今回は「望月の歌」の部分にだけ焦点をあてて書いてみました。いよいよ終わりの雰囲気が濃くなり始めて、ちょっと寂しい感じもします。ドラマの場合、ラスト数回をどのように充実して描けるかが非常に重要だと思います。考えて見ると、この話は道長の話では無くて、あくまで「まひろ」の話ですから、引き続き彼女の人生がどのように描かれるかに注目したいと思います。