毎度「天邪鬼」な大河ドラマレビューを書いております。批判的な分析を主旨としておりますため、世間一般の論調とはかなり乖離しているかと思います。そのため、ご不快に思われる方もおられるかもしれません。前もってお詫びいたします。(以下ネタバレも含みます)。本ブログは、素人による雑多な自由研究の備忘録であり、更新もかなりのんびりしております。悪しからず。
第45話「はばたき」感想
敦康親王の死について、「道長によって奪い尽くされた生涯であった」というナレーションがありました。史実的にはその通りなのですが、このドラマ的にははたしてどうなのでしょう。もちろん、ドラマでも道長は彼を警戒し自分が良いように物事を勧めました。ただ、ドラマ版道長のキャラからすると、要らないナレーションだった気がします。(道長のキャラ設定がもっと狡猾で豪胆ということなら、それもいいでしょうけれども)。
旅立つ「まひろ」に彰子が選別に贈ったものはなんでしょうか。細長いものは「懸守」でしょう。著作権をクリアできる画像がなかったので、言葉だけの説明になりますが、横長の包みの両端に紐を付けて首から提げるもので、中には紙のお札が入っています。もう一つの石はよくわかりませんが、「紫水晶」や「紫瑪瑙」でしょうか。紫水晶(紫石英などとも)は平安期にも珍重にされたようですが、ドラマではとくに説明がなかったので私もよくわかりませんでした。「紫」式部に懸けているわけではないでしょうけれども、旅の安全を願っているのでしょうか。
道長とのシーンで、「まひろ」の言葉――「手に入らぬお方の・・」が率直で切なかったです。ただ、その後の、「会えたとしてもこれで終わりでございます」はちょっと違和感。もう終わっていたのでは? いずれにしても、あっさりと賢子が道長との子供であることが打ち明けられましたが、改めて「まひろ」のキャラの鷹揚さを感じました。
その後、倫子が赤染衛門に『栄華物語』執筆を依頼するシーンがありました。『栄花物語』は、基本的には正編30巻は赤染衛門の作とされます。ドラマで倫子は赤染衛門に、道長の栄光と一門の栄華を書くよう依頼しています。清少納言の『枕草子』に対抗する作品ということを言っていましたが、実際は『枕草子』はエッセーであり、『栄花物語』は歴史物語で、かなりの違いはあります。でも両方とも、ある程度の虚構を挟みつつ、その時代(目的や対象)を美しく叙述したのは同じなのでしょう。
この点『栄花物語』について、山中裕氏の解説を引用しておきます。
作者の最もえがこうとするその意図は、九条家流の発展と道長の栄華の実況、摂関家の栄華、道長の絶頂期の真相を、えがくこと等々であったがまた、一方、全盛期の中にみられる一抹の哀愁、道長体制のやや崩壊期が近づきつつある実体、そのようなものを明暗と光と影の中にえがかんとして、それを説明するにふさわしい行事を並べていったと考えることができる。そこに本書の歴史でもあり文学でもある意義が存する。
(中略)
結局、『栄花物語』は、やはり年中行事を採りあげてみても、年中行事を扱うことによって作者は事実から解放されて創造、虚構の世界を創ろうとはしていない。『栄花物語』の年中行事は、あくまで事実の記録であり特に、はじめの方の巻の行事の叙述は、九条家流の発展の主題のなかに編年をたすけるために、つかわれたものであったといえよう。
山中裕「年中行事の文芸学」1981年 p163
それにしても、自分に大役が勤まるかと躊躇する赤染衛門にたいして、倫子が述べた「衛門がいいのよ」という言葉が、なんともひどい言葉に聞こえました。(事前に「まひろ」に依頼していたわけですので)。見方を変えれば、これも倫子の優れた人心掌握術ということなのかもしれませんね。
でもおそらく、学識に優れた赤染衛門という人選は歴史物語を書くには適任だったのでしょう。その意味では同じく才女であった紫式部が道長の物語を執筆していたら、どんな作品になったのか興味はあります。
▼こちらは、山中氏も参加している全集のうち、『栄花物語』の全訳註。31~33までの3巻が相当。全訳ではこれが一番新しいのではと思います。この数年前には岩波からも「日本古典文学大系 新装版」の「 栄花物語」上下二巻が出ています。
旅立つ「まひろ」ですが、砂浜でものすごい勢いで走るのはちょっと無理があるような気もしました。このドラマではおそらく970年生まれ説を取っていると思いますので、この頃が1017年以降とすれば、もう50近いわけです。年齢的に(体力的に)という点もありますが、それ以上に都暮らしをしていた女房はあのような走りはもはやできないでしょう。そういう細かな時の移り変わりをもっと丁寧に表現してほしかったと思います。まあ、あまりうるさいことを言ってもいけないですけれども。
彼女の没年も明確ではなく諸説あり、為時出家時には亡くなっていたという説もありますが、個人的には監修の倉本氏が仰るように、その後も暫く実資の取次女房として活躍したという説が信憑性が高いような気がします。物語的には「遠くへ旅立つ」という設定が波瀾万丈で面白いのでしょうけれども、もう少し都でやることがあったのではという気もします。実資との関係がほとんど描かれなかったのが残念です。
道長の出家シーンをしっかりやったのはよかったです。ご本人も「カツラ」ではなく、実際に頭を坊主にされたようですから、不自然さのないとても良いシーンだったと思います。
ただ、道長は本来非常に宗教心が強く、出家を以前から望んでいたので、涙を流すシーンがどうも違和感がありました。もちろん、ドラマ的にはいろいろなことが去来したという設定なのかもしれません。しかし、実際道長は隠遁するような意思はなかったわけで、なぜ泣くのだろうかと思いました。(泣くとすれば「まひろ」の事ぐらいでしょうか)。もっとも、倫子や朝廷の公卿達にとっては、まだ暫くリーダーシップを発揮してほしいという気持ちは強かったでしょう。やはり政治的な安定こそ、彼らにとっては重要だったわけですので。
出家には、病気の平癒や生き霊や怨霊からの保護など当時の様々な価値観が関係していますが、いずれにしても死後の往生ということが一番の重大事だったのだろうと思います。もう少し道長の宗教的な部分を掘り下げてほしかったなと思います。
行成をはじめとする四納言たちとの関係は、もちろん史実ではあれほどフランクではなかったでしょうけれども、このドラマのなかの清涼剤のような要素だったなと思います。
まとめ
引き続き体調不良で、内容が薄くなっております。あとドラマも数回なわけですが、最後に旅や道中の波乱などが描かれるようで、どうもあまり落ち着かない感じがします。次回は「刀伊の入寇」ですが、そこにわざわざ「まひろ」を登場させるのも、ドラマを盛り上げるためとはいえどうなんでしょうか。昔の「思い人?」も表れるようですが、最後はもう少し穏やかに終わると良いなと勝手な感想を持ちました。いずれにしても残り僅かですので、最後まで楽しみにしたいと思います。