以前、歴史を中心にしたブログを書いておりました(ほぼ来訪者もない)が、それを少しずつまとめて見ようと思い至り、始めました。昔書いたものをこちらに引っ越してきたり、新たに何か書いてみたいと思います。
大病をしたこともありまして、何かこの世に多少書き残したいと思ったことも動機です。日本史、世界史、文化に関することなど、「つれづれなるままに」書いてみたいと思います。
「雨過天青」とは
最初にこのブログの名称「雨過天青」(天晴とも)について蘊蓄を書きましてご挨拶といたします。
これはもともと、磁器の色を差す言葉で、出典は明の謝肇淛の「五雑俎」(五雑組とも)とされます。ただ、中国のwiki系(百度百科)の説明や一部の日本の論文では、同じ謝肇淛の「文海披沙記」(「文海披沙」のことか)を出典としているものがあります。ただ、一応「文海披沙」全巻(日本に渡来したもの)を一通り見た限りでは、この出典となるような記述はありませんでした。(漢籍のデータベース検索でも、五雑俎しかヒットしなかった)。
他には宋の徽宗と関連づける俗説もありますが、私見ではやはり「五雑俎」出典が正しいのではと思います。(「文海披沙」に異本などがある可能性もありますが)。
この「五雑俎」は、いろいろな文物に関する蘊蓄が書かれているエッセー風の雑学事典のようなものです。「文海披沙」も雑記的エッセーで、もう少し短くて項目分けも細かくて読みやすいものです。いずれも日本でかなり読まれた本と言われます。
「五雑俎」(巻十二、物部四)には以下のように書かれています。(原文はいくつかの版本を付き合わせております)。
陶器,柴窑最古。今人得其碎片,亦與金翠同價矣。蓋色既鮮碧,而質復瑩薄。可以妝飾玩具而成器者,杳不可復見矣。世傳柴世宗時焼造,所司請其色,御批云「雨過青天雲破處,這(諸の誤りか?)般顔色做将来」
「五雑俎」(巻十二、物部四)
ここでは、中国の名君、後周の世宗柴栄の話が引かれています。柴栄は後に宋を打ち立てる趙匡胤が仕えた皇帝でもあります。言ってみれば、宋は、柴栄の遺産を活用して全国を統一したとも言えます。
その柴栄は首都開封に窯を作り、青磁を作らせました。そのときに「どんな色の磁器を作りますか?」と尋ねたことへの解答が「雨過天青、雲の破るる處」だったと言います。つまり、「雨が上がった後に覗く空の青さ、そんな色のものを作って持って参れ」と答えたと言います。イメージは爽やかですが、実際にどんな色だったのかはわかりません。柴窯やこの故事については、いずれも伝説であるとする見方は強いですが、引き続き論争はあるようです。昨今考古学的な発見も多いので、将来どこかで「雨過天青磁」が見つかるかもしれません。
時代は遡りますが、唐の時代には、越州青磁が最高だと言われていたようで、その色は「秘色」と呼ばれたようです。
「五雑俎」の上記の文章の続きには、その唐代の話にも言及があります。
陸龜蒙詩「九天風露越窯開,奪得千峰秘色来」。惜今人無見之耳。
これは唐の詩人陸亀蒙の「秘色越器」という詩の引用です。ただ、この「五雑俎」の引用は、実際に残る詩と若干違います。実際の詩は「九秋風露越窯開、奪得千峰翠色来」(九秋の風露、越窯を開く、千峰の翠色を奪い得て来る)が正しいようです。「五雑俎」とは「九天」「秘色」(翠色を秘と呼んでいたという解釈もある)の違いがあります。謝肇淛はこの詩を引用しつつ、「惜しいことにもうその色がどんな色かはわからない」と述べています。
唐代から宋代に盛んになった青磁は美しいものですが、この「雨過天青」「秘色」については、「五雑俎」が書かれた明代においても謎に包まれていたのです。
しかし、大発見がありました。1980年代に中国の法門寺で塔が大雨で倒壊し、その再建作業中に地下があることがわかり、そこから唐代のたくさんの遺物が見つかったのです。その際、この「秘色」のなぞを解くヒントとなる大発見がありました。「秘色青磁」が見つかったのです。
これは、その一部ですが、時期的には唐代のものなので「雨過天青」の故事(唐より後の時代)に出てくる「青」と同じなのかはわからないわけですが、それでもとても素晴らしい色をしています。他に発見された磁器を見るともう少し赤みがかった色をしており、それもまた神秘的です。一緒に発見された目録があり、「秘色青磁」であるということがわかりました。それでも、いろいろな議論はつきないようですが、大発見だったのは確かです。他にも秘色に関しては、柴栄の後周と同時代の呉越が越州窯を保護して優れた青磁をつくったとも言われます。陶磁器の歴史はまったく素人なので、この辺にしておきます。(誤りがあったらすいません)。
日本では、「源氏物語」の「末摘花」に以下のような言及があります。
御台、秘色やうの唐土のものなれど、人悪きに
『源氏物語』6帖第7段「末摘花」
末摘花は、「源氏物語」では「醜女」(現代ではダメな表現ですが)で没落した皇族の娘として描かれていますが、その暮らしぶりを描く部分で、「お膳や青磁(秘色)は舶来のものだけれど、古ぼけて体裁が悪い・・」と酷評されています。
それでも、日本において中国産の青磁が「秘色」とも言われて珍重されていたことがわかります。
陳舜臣さんのエッセーとの出会い
このブログの題名を「雨過天青」としたことには、昔読んだ陳舜臣さんの同名エッセイも関係しています。若い頃から井上靖さんや陳舜臣さんを読みあさっておりましたが、エッセイではこの作品が今でも深く印象に残っています。
この本にはたくさんの短編エッセーが納められていますが、その中の「青磁色」というエッセーで「雨過天青」に言及があり、それが本のメインタイトルにもなっています。エッセーの最後の部分で、こんな風にまとめておられました。
青ということばは、青年とか青春とか、生命力に満ちたものに用いられる。私たちが様々な青を愛し、青磁の色に自分たちの理想を託そうとするのは、生命を愛するからにちがいない。
「雨過天青」p46
たしかに、「青」という色にはそんなイメージがあります。とりわけ、前述の柴栄の話にも出てくる「雨過天青」という色は、真っ青でもなくネイビーでもない「淡い」感じが、色々な感情を想起させるのではないかと思います。
いずれにしても、このブログは、自分もそんな「青」でいられたらいいなという、非常に大雑把で曖昧なイメージの下に書かれております。そういえば、歴史のことも「青史」と言いますね。これは竹簡の「青竹」から来ているようなので、青緑なイメージでしょうか。
以上、最初のご挨拶が冗長になりましたが、お読みいただきありがとうございました。来訪なさる方もほとんどないとは思いますが、自分の備忘録的な感じで書き連ねて参ります。