清院本「清明上河図」の第三回です。今回は内城(宮殿)の風景が長いため、全体で占める割合は4割ぐらいの部分ですが、またかいつまんでご紹介いたします。(以下の赤枠と番号が、図と図番号を指します)。
城内の豪邸
「状元」の重臣宅を通り過ぎると、それをしのぐほどの豪邸が出現します。庭には池や名石があり、その奥には変わった形の屋根の建物があります。中にいるのはこの家の主人でしょうか。また、右下ではブランコに乗っている女性がいます。
こちらは同じ敷地の奥にある建物です。西洋建築なのか、アラビア風の建物のようでもあります。
城内の風景
引き続き、街路沿いにたくさんの店が並びます。奥に見える看板(のれん風の)を見ると「本店自置松江大布」とあるので布問屋のようです。松江大布は、江南の松江府で生産される布のことで、木綿の布のことを指しています。大布は幅の広い布という意味です。その隣にあるのは「羊肉店」で、囲いのなかには羊が飼われています。
そして、その下には喧嘩の風景が描かれています。真ん中のつかみ合っている二人が当事者のようですが、まわりの人達も止めに入る人もいれば、傍観する人もいます。道の真ん中では天秤棒に肘をついて見学している人も。面白いのは、そこに左側から諸肌脱いだ、いかにも強そうな人がやってきていることです。見物人が「来るな来るな」と言っているようなので、おそらくこの「好漢?」は喧嘩に割って入ろうとしているのでしょう。仲裁するためなのか、どちらかの見方をするためなのか。ますます厄介になりそうなので止めているのでしょう。
さらに進むと、露天の書画・骨董屋があります。客もあれこれと品定めしているようです。その向こう側では、僧侶が曲芸を披露しているようです。見えにくいですが、「鈸」(シンバルのような法具)を飛ばしているのではないかと思います。
その左奥に門があって、壁に「祝由科」という看板があります。なんとなくひっそりとしていますが、これは所謂呪術師、つまり祈祷によって病気を治す治療所です。今では「怪しい」と思われてしまいますが、この時代には一つの医療の形でもありました。
そしてもう一度城内の橋を渡ると、「学」の看板がある建物が見えます。これは私塾で、先生が子供達に教えている様子が見えます。一人だけ先生の前に出て「恐縮」している感じですが、おそらく先生に暗唱できなくて怒られているのかもしれません。1 入り口右では、「放尿中!」の生徒もいます。外から見ているのは親御さんでしょうか。
大きな牌坊(門)の横で見世物が行われています。武術の試合なのか古くからある相撲の一種なのでしょうか。「清明上河図」は巻物の右端の郊外から始まって、「民間の描写」がこの宮殿の門前で終わるわけですが、大きな人だかりが出来るイベントを最後にもってくることで、ストーリーが盛り上がる流れになっているのが凄いと思いました。2
内城(宮殿)の風景
さて、いよいよここからが、宮城です。門を入ると、急に荘厳で静寂な雰囲気になります。
幻想的な雰囲気すらある風景ですが、湖なのか池なのか、真ん中に宮殿があり印象的な岩山も描かれています。この宮城の描写は、かつて宋の時代にあった金明池の庭園を模したと言われます。金明池はかつては周囲5キロほどの池だったと言われ、水上に建物が建てられていました。水軍の訓練や模擬戦などのイベントも行われていたようです。明代後半にはほとんど原型をとどめなくなって失われました。(現在再現したものがあるようですが)。この「清院本」では、その金明池の過去の画などを参考にしたと言われます。例えば、元代の王振鵬が描いた「龍池競渡圖」も参照されたようです。3
この王振鵬の画は元代のものなので、あくまで想像画なわけですが、「龍」のように水上に伸びる橋や建物の雰囲気は良く似ています。様々な史料が参照されたのでしょう。
一番奥には、本殿を含めた宮殿がありますが、そこには二隻の船が描かれています。右側の船上には、見えにくいですが、玉座のようなものが置かれていて、乗り込もうとしている女性は皇妃のようです。
また、手前の船には既に人が乗っていて、そこに黄袍に身を包んだ男性が乗っています。華蓋と言われる傘が差し掛けられているので、皇帝なのでしょう。このあたりは非常にひっそりとしていますが、人物もいろいろな場所に描かれています。主に宮女と思われる女性たちですが、楽しそうにしている描写も多いです。
これが、「清明上河図」最後の部分です。右上に「乾隆鑑賞」という乾隆帝の鑑賞印があり、「三希堂精鑑璽」は紫禁城養心殿の「三希堂」の収蔵印です。その下の角印は「宜子孫」で「宜しく子孫に伝えよ」という意味です。4 そして、最後に日付「乾隆元年十二月十五日」とあり、作者たちの名前が書かれています。表装を含めた完成は乾隆2年(1737)で、この最後の文言が書かれた翌年の完成となりました。
まとめ
以上3回にわたって、清院本「清明上河図」を見て参りました。これでも大分端折っておりますので、是非台湾の「国立故宮博物院」の公式ページ(https://www.npm.gov.tw)で詳細に公開されているものをご覧になるようお勧めいたします。(オープンデータとして公開されています。高精細画像のみCC BY 4.0で公開)。また、「清明上河図」に関してはまだまだ様々な学説がありますので、ここで述べたことが絶対ではありません。(私の誤解や誤りがありましたらお詫びいたします)。
オリジナルとされる「宋本」と比べると、やはり歴史の流れを感じます。そして、「清院本」はやはりある種の理想を表現していると同時に、清の絶頂期である雍正~乾隆の時代の雰囲気を表してもいるのでしょう。ただ、最初の乾隆の詩にもあったように、そこに一抹の不安や栄枯盛衰のむなしさを感じるバランス感覚も特徴と言えます。
「宋本」のもつ猥雑さや人間臭さはありませんが、「安心して見ていられる」のが清院本の特徴でもあります。それが良さでもある一方で、理想主義的で「お行儀が良い」感じになってしまっている面はあるかもしれません。たとえば、どの「清明上河図」にも物乞いが登場しますが、「清院本」では下記のような物乞いが登場します。
ただ、「清院本」の場合それはある意味で「エキストラ」や「モブキャラ」のようであり、画に趣を添える材料とすら思えます。理想化しすぎないように「調整する」要素のような気もします。もっとも、完全にすべてを理想化していないそういうところが、「清院本」の魅力だとも言えます。
「清院本」の特徴は、やはり登場人物たちの喜怒哀楽が非常によく表現されていることだと思います。「宋本」は色彩や大きさの問題もあるのかもしれませんが、それぞれのキャラクターの雰囲気は平坦な描写になっています。(「宋本」の描き込み具合はものすごいけれど)。「清院本」は、動きがかなりオーバーリアクションだったり、ちょっとした体の動きが表情となって表れています。ちょっと欄干に寄りかかるとか、足を引っかけるとか、隣の人と肩を組むとか・・。
私が「清院本」で一番素晴らしいと思うのは、人々の視線です。色々な出来事が画の中で起きますが、その出来事に直接関わっていない人も、そちらの方向に視線を送っていたりします。現実の世界には視界だけではなく、音もあり、私たちはそれに反応しながら生活しています。「清院本」の世界を見ていると、人々の視線は複雑に絡み合っていて、画の中で起きている事件の音まで聞こえてくるようです。画の世界が平和な理想郷であるとしても、人々が生き生きと描かれている故に多くの人々に愛されてきたのでしょう。
以上長くなりましたが、お読みいただいた皆様に深く感謝いたします。
※「清院本」は台湾の「國立故宮博物院」の所蔵です。全ての画像は基本的にCC0の範囲の画素で使用していますが、一部画像の画素数がCC BY 4.0の可能性があるため、念のため記載いたします。