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「紫式部と藤原道長」(倉本一宏)書評~来年の大河ドラマ「光る君へ」予習

大河ドラマ

倉本一宏氏の近著で来年の大河ドラマの予習を


来年のNHK大河ドラマ「光る君へ」は久しぶりの平安時代とのことで楽しみにしています。同時に、今作の歴史考証が倉本一宏氏ということで、さらに期待増です。(なお、書評というほどのものではありません)。

それで、予習という意味でも倉本氏の近著(2023年9月時点)「紫式部と藤原道長」を読んでみましたので、感想を少し書きたいと思います。

倉本氏というと、著書でも講演等でも非常に率直で「歯に衣きせぬ」タイプでありつつも、どどこか優しさがある、そんな学者だなとかねて思っております。

氏が所属する日文研も、昔とはかなり変わって今はいろんな個性の研究者が所属され(偉そうな言い方をすれば)良くなった感じがします。創設者の梅原氏を始め、河合氏、中西氏など(個性的で)そうそうたるメンバーが所属してきた研究機関ではありますが、同時に、びっくりするような珍説?が彼らの口から飛び出すことも多く、戸惑うこともしばしばでした。でも、小難しい話ではなく、(私のような者にも)わかりやすい著書を多く残されたことは、大きな功績だと思います。もう故人になられた方も多く、時間の流れを感じます。

さて、この本の冒頭では史実に徹することが述べられています。

いきなりこんな話で申し訳ないが、後世、「紫式部」と称されることになる女性は、確実に実在した。何を当たり前の話をと思われるかもしれないが、これは彼女が藤原実資の記した古記録である『小右記』という一次資料に、「藤原為時の女」として登場して、その実在性が確認できるから言えるのである。 (中略) この本では、世界最高峰の文学作品である「源氏物語」を著した紫式部と、日本史上最高の権力を長期間にわたって保持した藤原道長とのリアルな生涯を、確実な史料のみによって時系列的に復元してみたい。 (中略) この本では、できる限り無責任な推測は避け、確実な史実と思われることだけを提示していきたい。 (「はじめに」より)

面白いのは、上記文脈で紫式部に比較して清少納言については「実在したかどうかは百パーセント確実とは言えない」と書かれているのが本書の姿勢をよく表しています。清少納言については、信頼できる一次史料に言及がなく(交友があったとされる藤原行成の「権記」にも言及がない)、かろうじて紫式部日記に言及があるだけと考えると著者の言うとおりです。

清少納言への言及は以下の部分が有名です。

清少納言こそしたり顔にいみじう侍りける人

現代語訳:清少納言は実に得意顔をして偉そうにしていた人です。(倉本訳)

「紫式部日記」より

彼女たち二人は仕官した時期が違うので(紫式部が後輩)、実際には会っていないはずであることなどから、これが清少納言についての「一次史料」とまでは言えないということなのでしょう。(もちろんこれはあくまで比較の話で、実在しないと言っているわけではない)。

ちなみに本書では、なぜこのような清少納言評になったのかについて、中将の君(斎院選子内親王の女房)批判の「ついで」であって、定子サロン批判という政治的な意味があるとします。このあたりの考察が非常に面白く、本書のテーマである「紫式部と藤原道長」につながるのです。

話を戻しますと、一次資料や二次資料などその史料の価値やレベルをきちんと価値判断して歴史を研究するという著者の姿勢は重要だと思いました。この本は基本的にこの「史実」という部分にこだわっており、不確実なことについては率直にそう書かれているのが好印象です。

ただし、歴史的に言えば、紫式部と藤原道長がいわば「タッグを組んだ」というわけではなく、それぞれに重要な(お互いにとって必要な)役割を果たしたということなので、あまりこの二人の関わりを深く読み込むことはできません。これは当時の二人の立場の大きな違いからすれば当然のことではあります。従って本書も、二人の関係をメインに展開するものではなく、あくまで二人の「接点」を解き明かした上で、当時の政治状況を論じるという形になっています。

いずれにしても、この本は、歴史上の藤原道長と紫式部、そして虚構世界の「源氏物語」のそれぞれの意味を整理するのに良い本だと思います。新書なので、分量も多すぎず大河ドラマの予習にぴったりの読みやすい本でした。

来年(2024年)の大河を楽しみに待ちたいと思います

来年(2024)の大河ドラマ「光る君へ」ですが、平安時代を描くのはなかなか大変だろうと思います。古い時代であるほど、史実を描くことには限界があるわけですから、史実と虚構のうまい比率でのミックスが期待されます。

私の勝手な希望としては、多くがフィクションになるとしても、その時代の雰囲気や価値観を現代にうまく伝える作品であってほしいと思います。昨今の大河ドラマはかなり現代的な作りになっており、背景となる時代の雰囲気があまり感じられなくなっている気がします。硬派である必要はありませんが、民放ではない強みを生かして、しっかり作り込まれた作品を望みます。

脚本は大石静さんです。大石さんは2006年の「功名が辻」以来の大河でしょうか。

当時の視聴率はまずまずだった気がします。ただ、「功名が辻」の場合は司馬遼太郎原作という元ネタがあったわけですが、今作はオリジナルのようなので大石さんのお手並み拝見というところでしょうか。

源氏物語は知っているようで知らない

源氏物語についてはまったく詳しくなく、改めて学んでみようかなと思っています。

学生時代に「いずれの御時にか、女御、更衣・・」と暗記させられた記憶だけが残り、中身についての情報がまったく欠落しているのです。(後に触れる池田氏の本も読んだことしか覚えていない)。

この「桐壺」の書き出しだけでも多数の論文が出ており、細かい部分に至るまで何百年も研究がなされてきました。それは、この始まり方が独特であるからです。

今昔物語などのいわゆる昔話は「今は昔~ありけり」で始まります。(これも良く暗記させられました・・)。「今となっては昔のことであるが~いたそうだ」という意味でしょうか。「けり」は伝聞や伝承の過去だとかなんとか学んだことを思い出します。

源氏物語はこういった書き出しではなく、「いずれの御時にか」と疑問を含めて始まることで、どの天皇の御代かは明示されないけれども、非常に現実的で特定出来そうで出来ない雰囲気を感じます。このような始まり方からして、読者を引きつける書き出しです。

昔は源氏物語の大家池田亀鑑氏の著作などが有名でした。昔実家に母が集めた池田氏の本(源氏物語関係?)がありましたが、子どもには難しくてまったく興味がわかなかったのを思い出します。正直、その後大人になってから1冊だけ池田氏の本を読んだ覚えがありますが、前述のとおりまったく覚えておりません・・。新装復刻(オリジナルは1950年代)していたものですが、それでももう20年以上前のものです。(「源氏物語入門」(新版))。今ではなかなか新品での入手は難しいかもしれませんが、古書店などでは手に入るのではないかと思います。(▼こちらがオンデマンド版。文庫版の表紙の花がちょっとだけ見えるのがうれしい)。


池田氏の著作は既に著作権切れになっているものもあり、青空文庫などで公開されるものも増えているようです。最近では、池田氏と源氏物語をテーマに複数の学者たちが論じている本も出ています。(もっと知りたい 池田亀鑑と「源氏物語」「全4巻」)

参考:倉本氏の著書いくつか

倉本一宏氏の著作では2009年の藤原道長「御堂関白記」(現代語訳全3巻)がいいですね。昔から「御堂関白記」には興味があって若い頃に色々と参考書を読んだ時期がありましたが、ちょっと難しくてフェードアウトしたのを思い出します。今はこのような手に入りやすくて分かり易い注釈書があるのはいいですね。


もっと手軽に御堂関白記を知るには、2013年に出た「藤原道長の権力と欲望『御堂関白記』を読む」が良かったです。来年の大河に便乗して?(笑)といいますと言い方が悪いですが、今年この本の増補版が10年ぶりに出ています。(藤原道長の権力と欲望『御堂関白記』を読む(増補版))。最後に補章「紫式部と『源氏物語』」が追加されています。この増補版は持っていませんが、オリジナルはなかなか読みやすくて良かったです。今回レビューした「紫式部と藤原道長」を持っていれば、旧版を増補版に買い換えるのは不要かなと思います。


以上、勝手なことをいろいろ書きましたが、来年の大河を楽しみに待ちたいと思います。来年実際に放映されてどう感じるのかも興味深いところです。

以上、お読みいただき感謝いたします。