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「雍正帝」(宮崎市定) 書評

世界史

2010年に旧ブログに掲載したものを引越再掲載したものです。末尾に、再掲載にあたっての追記を記載しております。

雍正帝: 中国の独裁君主 (中公文庫 み 22-11)

雍正帝というと、武侠小説や歴史小説では悪役のイメージが強いです。金庸の「書剣恩仇録」では、跡継ぎがいなかったため漢人の子を密かに自分の子(乾隆帝)としたという伝承がモチーフにされていますし、後継者争いや、同族への厳しい弾圧、言論の統制など暗い面がよく強調されます。

しかし、この本を読むと雍正帝へのイメージがかなり変わるのではと思います。中国史に詳しい方ならご存じの点も多いと思いますが、何度読み返しても興味深い1冊です。

この本で描き出される雍正帝像は、彼がその短い治世で良くも悪くも全身全霊を皇帝としての仕事に捧げたということだと思います。もちろんダークなイメージはつきまとうのですが、ある意味生涯を政治の鬼となって過ごしたことがわかります。康煕帝や乾隆帝は皇帝としての地位を十分に利用して生活を楽しんだというイメージがあります。たびたびの外征(外遊?)などはその例です。これら2帝も決して暗愚ではなく、特に康煕帝は清の土台を固めた面でも優秀な皇帝であったと言えると思います。しかし雍正帝の治世があってこそ帝国の安定が強化され、政治が安定したと言えます。この本では雍正帝が持っていた一貫した信念や自負心がきわめてわかりやすく論じられます。清朝が終始直面した漢民族の反抗や他の宗教哲学への対応の仕方なども興味深く扱われています。

この本で私が個人的におもしろいと思ったのは、次の2つの点です。

1つは、「キリストへの誓い」という章です。ヨーロッパでもないのにキリスト教とはどういうことかというと、満州族でも名門のスーヌ一族は当時禁令が出ていたキリスト教徒であり、その弾圧の過程を扱っているわけです。雍正帝はキリスト教を禁教しましたが、その一方できわめて合理的な評価も持っていた部分が大変おもしろいところです。清朝時代のキリスト教史は後の太平天国の乱などとも関連しておもしろいので、別の機会に書きたいと思います。

もう1つは後半に付いている「雍正硃批論旨解題」です。雍正帝といえば、硃批奏摺というシステムでしょう。簡単にいうと臣下からの個人的な上奏を求め、それに対して朱筆で返事を加えるという交換日記のようなシステムです。もちろんそれは気軽なものではなく、失敗すると大変なことになるのですが、雍正帝の返事部分がとりわけおもしろいのです。ほめられる時もあるし、こんなことを書いてくるなとしかられている官僚もいるので、臣下からするとかなりストレスがたまるシステムだったのではないでしょうか。その様々なやりとりが詳しく解説されているので、大変おもしろいです。たとえば、厳しい言葉や皮肉を多用する一方、自分の書いたことが間違っていた場合「朕が前諭誤れり矣」(本文p229)などと過ちを認めてしまうあたりが怪物とも言えます。雍正帝は自分に厳しい人でしたが、一方で臣下に対しても大変厳しかったことがうかがえます。

以上長くなりましたが、是非読んでみていただきたい1冊です。

(2010年5月)


東洋史学の大家宮崎氏の著作です。初版は1950年に岩波から出て、その後中公から復刊したものが本書です。もはやかなり古い本になりましたが、名作です。

雍正帝は、中国のドラマなどでは悪役の場合も多いですが、康熙帝と乾隆帝を繋ぐ重要な役割を果たした皇帝と評価されています。一頃で言えば、自分に厳しく人にも厳しい人。というより、官僚に厳しい人でしょうか。奴隷解放なども行っていますので、君主や民についての強い理想を持っていた人なのでしょう。

ちなみにアイキャッチ画像は、「胤禛行楽図冊」の刺虎です。まだ皇子だったころの(といっても父親の治世が長かったので皇子時代も長い)雍正帝を描いた13種類の画の一つで、洋装で虎狩をしているという不思議な画です。コスプレ好きの雍正帝ならではです。