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「武士の起源を解きあかす-混血する古代、創発される中世」(桃崎有一郎)書評

平安時代

これは旧ブログに2018年に掲載したものの、引越・再掲載です。末尾に再掲載時の雑感を記しております。

武士の起源を解きあかす――混血する古代、創発される中世 (ちくま新書)

日本古代史や中世史の若手専門家で、室町幕府の研究などでも知られている方です。今作は、「武士の起源を解きあかす」というまさに野心的なテーマになっています。書評というほどのものではまったくありませんが、簡単なレビューを書いてみたいと思います。

著者は冒頭の「序論」で次のように述べています。

「武士」とは結局、なんだったのだろう?歴史学は、右の問いにまだ答えを出していない。そういわれたら、読者諸氏は信じられるだろうか。私は信じられなかった。それが本書の執筆動機だ。
右の問いがなぜ重要なのか、なぜ解明されないまま今日に至ったのか、などといった事情については、油断すると無限に書けてしまう。多くの専門家は、そうした事情・経緯を一般向けの本でも丁寧に追跡し、紹介する必要があると信じている。しかし、結論が出せなかった経緯など、研究者には多少の意味があっても、一般の読者にはどうでもよかろう。一般書に必要なのは、学会が辿り着いた最新の結論と、その根拠だ。

「武士の起源を解きあかす-混血する古代、創発される中世」(桃崎有一郎)「序論」より(太字部分は傍点)

著者が言うとおり、専門書であればいざ知らず、所謂啓蒙書であれば一定の結論を出してくれた方がありがたいのは確かです。しかし、本来結論が出ていない問題を扱うわけですから、なかなか勇気がいることでもあります。著者は「武士」の専門家ではなく、「中世儀礼」の専門家ですが、朝廷の儀礼について研究してゆく中で結局「武士の起源」は避けて通れない問題になったようです。冒頭の「序章」では、なぜ専門分野ではない「武士の起源」に取り組むことになったのかが詳しく語られています。

本書の目指すゴールは次のようなものです。

本書は<武士はどこからどう生まれてきたか>という問いに答えるために必要な材料だけを取り上げ、答えを目指して一直線に進み、一点突破を試みたい。そして、<武士とは何か>がいつまでもわからないという呪縛から、日本人(と私)を解き放つための一歩を、とにもかくにも進めたい。それが本書の目標である。

「武士の起源を解きあかす-混血する古代、創発される中世」(桃崎有一郎)「序論」より

本書は、新書には珍しく出典も豊富です。これは、専門家の評価を受けるためと書かれています。なかなか力の入った著書です。

本書の優れているところは、やはり著者が中世儀礼の専門家であることです。朝廷の儀礼や、律令制度などに精通しているゆえに見えてくる、武士の存在があります。著者の「武士とは何か」についてのまとめはこのようなものです。

武士とは、こうして【貴姓の王臣子孫×卑姓の伝統的現地豪族×順貴姓の伝統的武人輩出氏族(か蝦夷)】の融合が、主に婚姻関係に媒介されて果たされた成果だ。武士は複合的存在なのである。・・・武士は”武装した有力農民” ”衛府の武人の継承者”など、一つの集団が発展した産物ではない。違う道を歩むはずだった複数の異質な集団が融合して、どの道とも異なる、新たな発展の道を見出したのが武士だ。

「武士の起源を解きあかす-混血する古代、創発される中世」(桃崎有一郎)「第10章武士は統合する権力、仲裁する権力」より

「武士」という正式な単位の命名については、宇多天皇の時期を想定しています。儒教による国家統治を旨とした宇多天皇の時に、中国の古典にも見え元正天皇も使用した「武士」という言葉が、儒教の「士」身分として認識され、「六位程度の武人集団」にふさわしい名称だとされたとします。

背景として、1世紀前の桓武朝で蒔かれた種(王臣子孫)が、宇多朝の頃に大きな問題となっていたことが挙げられ、結果として「武士」という「作品」になったと解説します。

結論としては「武士は京を父とし、地方を母とするハイブリッド」であるとします。

本書を通して、私が子どもの頃に学んだ「常識」はもはや大きく変化していることを痛感します。それがまた歴史研究の面白さでもありますが、まだまだ分からないことが多いのも事実です。本作でも、推量を重ねなければならない部分が多いのは、歴史の限界なのかもしれません。しかし、この分野に切り込んだ著者の勇気に敬意を表したいと思いますし、今後の氏の研究に大いに期待したいと思います。

お勧めの1冊です。(2018年12月)。

2018年に書いたブログの引越再掲載でした。毎度の事ながら、書評ではなくただの感想文でした・・。

やはり歴史というのは、次々と新しい研究成果が発表されて、更新されてゆくものなのだなと感じます。また、序章で取り上げられていた、戦後マルクス主義の影響などもそうですが、私たちは所詮「時代の子」なのだなともつくづく感じます。特に故網野善彦氏の『歴史としての戦後史学』の引用は、改めて歴史学の難しさを考えさせられます。この網野氏の著作は、今では文庫改定本(2018年)で出ていますが、オリジナルは2000年のようですから、20世紀の歴史学総括のような感じですね。(2023年11月現在はKindle Unlimitedで読み放題)。


参考文献:

武士の成立武士像の創出
東京大学出版会
高橋昌明 (著)。日本の古代・中世社会では、武士は芸能人だった。古代の武と文、近衛府と武官系武士、武官系武士から軍事貴族へ、中世成立期における国家・社会と武力などを考察し、武士の発生を見直す。
武士の日本史 (岩波新書)
岩波書店
高橋昌明 (著)。鎧兜に身を固め、駿馬で戦場を駆けめぐり、刀をふるっては勇猛果敢に斬り結ぶ。つねに「武士道」を旨とし、死をも怖れず主君に忠誠を誓う―そんな武士の姿は、はたしてどこまで「史実」か?日本は本当に「武士の国」なのか?長年武士研究を牽引してきた著者が満を持して書き下ろす、歴史学が見出した最新の武士像。
歴史としての戦後史学 ある歴史家の証言 (角川ソフィア文庫)
KADOKAWA
網野善彦 (著)。マルクス主義に強く影響された初期の論文への強力な批判を含む自伝的著書。