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大河ドラマ「光る君へ」第23話感想

光る君へ

毎度「天邪鬼」な大河ドラマレビューを書いております。批判的な分析を主旨としておりますため、世間一般の論調とはかなり乖離しているかと思います。そのため、ご不快に思われる方もおられるかもしれません。前もってお詫びいたします。(以下ネタバレも含みます)。病気のため若干更新ペースが落ちております・・。

第23話「雪の舞うころ」感想

引き続きの越前編ですが、為時が宋人対応に奮闘する様子や「まひろ」と周明について描かれました。あまり大きな動きはありませんでしたが、都では一条天皇の定子への思いが募っているようです。次回以降の展開が楽しみです。

今回の話は全体的に、現代中国語講座のような感じでしたが、あまりに現代的なのがちょっと気にはなりました。別れの挨拶がいつも再見ツァイチエンなのも、雅さがなくてどうもしっくりきません。時代劇なら告辞ガオヅーなどでしょうか。ただ、「再見」という言葉自体は、孔子や司馬光なども使っているようなので、別れを表す言葉としては古くからあるようです。ドラマは、中国の北宋時代なので、雰囲気を出す意味でももう少し工夫がほしいところでした。

ちなみに、中国では80年代ぐらいから、口語では「再見」より「拜拜(ByeBye)」を使う人が多くなっているようです。言葉はどんどん変わりますね。

朱仁聡一行の話は、前々回で詳しく取り上げました。

上記記事でも触れましたが、朱仁聡一行の扱いについては、朝廷でもかなりもめました。ただ、数年にわたっての滞在中、様々な交流もありました。とくに仏教界との交流が知られ、朱仁聡が前回(永延元年)九州へ来航した際には、太宰府で源信と会っています。その際同行の宋僧が源信の『往生要集』を受領したと言います。

今回の再来航の際には、松原客館(ドラマで為時が最初に訪問した)があった敦賀まで源信が朱仁聡に会いに行っているのも興味深いです。このように、仏教界にもある種の外交ルートが出来ていたことがわかります。藤原道長も、『大蔵経』を宋に求めたりしています。ただ、朝廷は宋との公式な外交には消極的であり、あくまで仏教界や商人を通しての関係に留めたかったようです。

ドラマのシーンで一番印象深かったのは、姉(詮子)と弟(道長)の会話でしょうか・・。

宋代の衣装の話~『清明上河図』

NHKの特集サイトでは、宋代の装束についての考証者の説明が載っていました。『清明上河図』に描かれている人たちの装束を参考にしたと書かれていました。

『清明上河図』については、以前に以下でまとめておりますので、参考までにご覧下さい。(以下のリンクを含め3回シリーズです)。基本的によく見るタイプのものは「清院本」という清代に作られた新しいものです。こちらは清の雍正帝~乾隆帝の時代の作品で、宋~明代の風俗をイメージして描かれているとされます。

オリジナルは宋代のもので「張択端本(宋本)」と言われます。ただ、これは北宋末期(日本では平安末期)以降のものと言われるので、紫式部の時代からはさらに100年以上後の作品です。今回、どの版本が参考にされたのかまではわかりませんが、絵の中を眺めて「旅」してみるのも面白いです。

まとめ

今回は特に歴史的に大きな動きはない回でした。感想もかなり「薄い」感じになりましたが、「まひろ」の恋路?にも今後注目です。以上内容が薄いですが、今回はこの辺で。


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