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大河ドラマ「光る君へ」第33話感想|「宮の宣旨」の話など

光る君へ

毎度「天邪鬼」な大河ドラマレビューを書いております。批判的な分析を主旨としておりますため、世間一般の論調とはかなり乖離しているかと思います。そのため、ご不快に思われる方もおられるかもしれません。前もってお詫びいたします。(以下ネタバレも含みます)。素人の自由研究レベルでありますので、誤りがありましたらご容赦ください。

第33話「式部誕生」感想

いよいよ藤壺に出仕した「まひろ」ですが、なかなか筆が進まぬようです。宮中のドロドロとした女房達の人間関係はいまのところさほど描かれていませんが、それでもいろいろと大変そうですね。

紫式部日記では、出仕したとき周りが彼女をどんな風に思っていたかこう記録されています。

「かうは推しはからざりき。いと艶に恥づかしく、人見えにくげに、そばそばしきさまして、物語好み、よしめき、歌がちに、人を人とも思はず、ねたげに見おとさむものとなん、みな人々言ひ思ひつつ憎みしを、見るには、あやしきまでおいらかに、こと人かとなんおぼゆる」

「紫式部さんがこんな人だなんて、思ってもいませんでしたわ。私たちあなたが来ると聞いて『気取っていて、相手を威圧し、近づきにくくてよそよそしげで、物語好きで思わせぶりで、何かというと歌を詠み、人を人とも思わず、憎らしげに見下す人に違いないわ』と、みんなで思ったり言ったりしては、あなたのことを毛嫌いしていたの。それが会ってみたら不思議なほどおっとりしているのですもの、別人じゃないかと思ったわよ」

『紫式部日記』ビギナーズ・クラシックス 日本の古典 (角川ソフィア文庫) より。

藤壺の女房達は基本的に上級貴族のお嬢様ですから、学識などは重視されずおっとりした人が多かったのでしょう。紫式部出仕と聞いて、どんなおっかない人が来るのかと思ったら、意外におっとりした人で安心したというのが、女房たちの感想だったようです。このことからも、彰子サロンはかなり「おとなしい」女房達が多かったのでしょう。とはいえ、『紫式部日記』には、容赦の無い人間批評も繰り広げられていますので、紫式部からするといろいろと不満はあったのですね。

今回藤原隆家の発言がなかなか印象的でした。「朝廷も武力を持て」という発言は、おそらく後に「刀伊の入寇」で活躍する伏線なのかもしないと思いました。

一条天皇と道長の関係もなかなか複雑になってきました。一条天皇を演じる塩野瑛久さんの演技がまた非常に素晴らしい。複雑で繊細な若き天皇を好演しています。

それから、一番印象的だったのは道長から贈られた檜扇のシーンでした。フィクション部分にあまり感動しない私ですが、不覚にも心揺さぶられました。

ただ、相変わらず劇伴(エレキ、ドラムなどの)はちょっと場違い。(民放の時代劇のようになってしまう気がして)。

「宮の宣旨」の話

先週から登場した小林きな子さん演じる「宮の宣旨」ですが、ドラマ冒頭のシーンでの存在感が凄い。

「宮の宣旨」は彰子付きの女房でしたが、彰子と同じ輿に乗るなど高位の女房だったことがわかります。源伊陟の娘といわれます。(異説あり)。彼女は醍醐天皇のひ孫であり、父は中納言でしたので「中納言の宣旨」とも言われます。

『宮の宣旨』とは、職掌から来た名前であって、本来の意味での女房名ではない。これは、中宮の宣旨を伝宣する任掌をもつ官女である。当時の制度から言えば、中宮の女官長といった地位であり、その下に副女官長格の『御匣殿別当』(衣服、調度等の担当、但し特定の場合には尚侍[側室]のような意味)がいたのである。

角田文麿「紫式部の世界」第七巻 p89

つまり、中宮の取り次ぎ役という重要な役目でした。「宮の宣旨」は多くが中宮との関係性が高い人物でした。今回の源伊陟の娘も、おそらく彰子の乳母だったと思われますから、親しい間柄だったことがわかります。

今後、大納言の君、宰相の君、小少将の君、左衛門の内侍、馬中将の君・・・との関係はどう描写されるのでしょうか・・。

まとめ

今回は、「まひろ」出仕から『源氏物語』執筆の様子まで描かれていました。天皇や彰子との関係、『紫式部日記』で登場する女房達との関係など、どうなってゆくのでしょうか、楽しみです。


紫式部と藤原道長 (講談社現代新書)
講談社
無官で貧しい学者の娘が、なぜ世界最高峰の文学作品を執筆できたのか?後宮で、道長が紫式部に期待したこととは?古記録で読み解く、平安時代のリアル