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大河ドラマ「光る君へ」第42話感想|藤原実資の話など

光る君へ

毎度「天邪鬼」な大河ドラマレビューを書いております。批判的な分析を主旨としておりますため、世間一般の論調とはかなり乖離しているかと思います。そのため、ご不快に思われる方もおられるかもしれません。前もってお詫びいたします。(以下ネタバレも含みます)。本ブログは、素人による雑多な自由研究の備忘録であり、更新もかなりのんびりしております。悪しからず。

第42話「川辺の誓い」感想

最初の顕信出家の話は相変わらず違和感があります。もちろん、出家は母にしてみれば一大事ではあったでしょう。しかし、(諸説あるとはいえ)おそらくは本人の自業自得や、本来蔵人頭の任には堪えない人だったのでしょう。三条天皇に取り込まれないように保護した親心だったとも言えます。(保身でもあるが)。

以前書きましたように、当時の「法師子」信仰からすれば、一族にとって僧侶を出すのは良いことでもありました。道長も出家を喜んだようですし。

三条天皇は長年付き添った娍子せいし・すけこ(故大納言藤原済時の女)を皇后にすると宣言します。道長の娘姸子けんし・きよこがおり、背後に外戚として道長らがいるわけなので、やはりこれは無理のあることでした。結局、過去の二后並立の先例に倣い、娍子を皇后とすることで決着はします。

歴史考証の倉本氏は『藤原の道長の顕徳と欲望「御堂関白記」を読む』(文春ウェブ文庫)で「だいたい、天皇の方から一帝二后を言い出すなどとは、かつての一条の苦悩を思い併せると、信じられない話である。」と言っていますが、確かにそうですね。

このあと、道長と三条の間の亀裂は深くなってゆきます。実資の日記『小右記』にはこうあります。

十六日、癸丑。夜に入りて、資平、来たりて云はく、「右衛門督、云はく、『昨、内に参り、御前に候ず。雑事を仰せらるる次いでに云はく、「左大臣(※道長)、我が為に礼無きこと、尤も甚し。(※無礼であること甚だしい)。此の一両日、寝食、例ならず。(※食事も喉を通らない)。頗る愁へ思すこと有り。必ず天責を被らんか。太だ安んぜざる事なり」てへり。仰せらるる所の趣き、極めて以て多々なり。相府の為に御気色、宜しからず。其の次いでに仰せられて云はく、「右大将を我が方人に」(※実資は私の味方である)と云々。「然るべき人を召して雑事を云ひ合はすに、亦、何事か有らんや」と』てへり」と。

『小右記』長和元年(1012年) 四月十六日(摂関期古記録データベースの書き下しより)

彼の立場はなかなか微妙でしたが、自説を決して曲げない人でもありました。ドラマでも述べた言葉ですが日記にこうあります。

天に二日無く、土に二主無し。仍りて巨害道長)を懼れざるのみ

『小右記』長和元年(1012年) 四月二十七日(摂関期古記録データベースの書き下しより)

「天に二君なし」と述べ、道長を「巨害」とまで記した実資ですが、もちろん個人的な日記ゆえにさらに厳しいことを書いたというのもあるでしょう。このあと、一時的に道長側の日記の欠損などによって、『小右記』の記録に頼らざるを得ないため、実資が見た道長像がどうしても「事実」とされがちです。といっても、実際かなり三条と道長の関係や実資と道長の関係は悪化したのは事実です。

たとえば、ドラマでも描写された、三条天皇による娍子立后の儀式は散々でした。出席者は実資、隆家(皇后宮大夫)、懐平、通任(娍子の弟で兄よりも早く公卿へ昇進)の四人。公卿以外では藤原為任(娍子異母兄で皇后宮亮。素行に問題があり降格されたこともあり、昇進も弟に越された)。

よくこれは「意地悪」なのだという説もありますが、「意地悪」「嫌がらせ」というよりも、あくまで政治的対立や、周りの人たちの気持ちの表れでもありました。

実資、隆家、懐平が来なかったことを道長は気にしています。特に藤原懐平が来なかったことを気にしています。懐平は、実資の実兄で、道長とも親しかったらしい。道長の日記にはこうあります。

供奉の上達部、春宮大夫・皇太后宮大夫・侍従中納言・大蔵卿・左兵衛督・源宰相、此れ等は指さるる人(※参加するように指名されていた人)なり。指さるるに参らざる人は、右大将(※実資)<内に候ず。「(三条天皇の)召しに依る」と云々。>・隆家中納言<今の(皇后宮)大夫。>・右衛門督(※懐平)<年来、相親しむ人なるも、今日、来たらず。奇しく思ふこと、少なからず。思ふ所有るか。>。

『御堂関白記』長和元年(1012年) 四月二十七日条(摂関期古記録データベースの書き下しより)

それぞれ、理由を注(<>内)にして記して、わざわざ好意的に解釈しているのが面白いです。実資は三条の直接の召しがあったので来れないのはわかるし、隆家も皇后宮大夫だから行かざるを得ない・・などと注を入れています。ただ、懐平については、「どうしてだろう??」と書いているのがまた彼らしい。

上記の通り、三条天皇は実資を初めとする「小野宮流」に助力を求めました。ドラマでも三条天皇が藤原実資に助けを求める場面がありました。「自分は自分の道を行く」と言っていましたが、一方でこの後道長への批判や不満を数多く日記に記すことになります。ただ、道長は実資にはかなり気を遣っているのですよね。

ドラマ後半については、もう何も言うことはありません。「まひろ」と道長の関係をとても美しく描きました。宇治殿の場面もとても綺麗でした。景色は合成でしょうけれども、室内から室外を移すシーンは、日本の美しい自然や風景をうまく取り入れていて良かったです。川辺の場面も印象的でした。

三条天皇―心にもあらでうき世に長らへば (ミネルヴァ日本評伝選)
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外祖父・藤原兼家の庇護のもと成長し、天皇家の嫡流として皇太子となった居貞親王だが、即位後は道長の圧迫を受けるようになる。失明などの病気に苦しみ、落日の冷泉皇統のために苦闘した、悲劇の天皇の実像を描く。

まとめ

体調が思わしくなかったため、今回の内容はかなり薄いですが、いよいよ「終わり」の雰囲気が感じられ始めました。『小右記』などをみますと、道長はかなり好き勝手に行動してゆくようですが、それもある程度は実資のバイアスがかかっているのかもしれません。とはいえ、基本的に道長をずっと「良い人」「まひろとの約束によって行動している」と描写した結果、かなり歴史的な道長と乖離してしまった気はします。でも個人的には、道長と「まひろ」のキャラ自体は好きですが。

また次週を楽しみにしたいと思います。


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無官で貧しい学者の娘が、なぜ世界最高峰の文学作品を執筆できたのか?後宮で、道長が紫式部に期待したこととは?古記録で読み解く、平安時代のリアル