このブログは、2022年に書いたLIVEDOORブログからの引越記事です。一部再編集し掲載しております。
しばらくぶりに、1,2と通しでドラマを見直しまして、ドラマ化されなかった原作ラスト部分についてもやはり何か書いておきたい気持ちになりました。(2022年当時)
ドラマは結局、原作6巻中4巻あたりまでしか映像化されませんでしたので、備忘録も兼ねて「将夜」の原作ラストをまとめて見たいと思います。これまで原作最終回のネタバレは避けてきましたが、今回これ以下は、ほぼ完全にネタバレの内容になりますので、ご注意ください。

以下、自分なりの(完全に独断と偏見と拙い中国語力による)解釈を記しておきたいと思います。より正確な情報はサイト上に存在する(と思われる)他の方の情報を参考にしていただければと思います。中国人の方達の間でも「よくわからない」という意見は多いため、あくまで参考程度にしていただければ幸いです。
原作の最終回直前あたりからのあらすじ
以下は、著作権上問題ない程度の大まかなあらすじの箇条書きとします。第6巻125話ー130話(最終話)の内容。この時点で天に帰れなくなった桑桑(昊天)は、まったく違う人間になっています。原作ではグラマーで色白、顔は「普通」な女性と表現されています。(以下最終章はドラマシーズン2の後半ににているが、別の戦い)。
老筆斎に戻ってみると、葉紅魚がいて、「寧缺に話があるんだけど、嫉妬しないでね」と桑桑に言う。莫山山からの手紙を預ってきたと渡すが、同時に彼女からといってキスをする。(本当は寧缺大好きな葉紅魚)。寧缺は桑桑の嫉妬を恐れつついつものように葉紅魚を茶化す。葉紅魚は「恥知らず!」となじるが、最後は寧缺も深く謝意を示して二人は別れる。葉紅魚と莫山山は二人で宇宙へと旅立って行く。
この後、嫉妬のせいか寧缺と桑桑は大げんかする。 桑桑は、寧缺は美女に目がなくて、自分みたいな太った女には興味がないだろうと泣く。寧缺は困り果てて、つい売り言葉に買い言葉になる。寧缺は家事も自分の世話もしてくれないとなじり、桑桑は、あなたが今度は世話すると前に約束したと責める等々。 家を飛び出す桑桑。寧缺は心配するが、実際は出てはいなかった。戻ってきた彼女は唐突に「お腹すいてない?」と聞く。これで一気に仲直りして一緒に食事の支度をする。(寧缺は手取り足取り料理をを教える)。
这并不难,对吧?
(これって難しくないよね)。
这很幸福,是吧?
(これって幸せだよね)。
明月照着新世界,照着老笔斋
(明月は新世界を照らし、老筆斎を照らしている)。
院墙上,有只老猫懒懒地躺着
(庭の壁には、老猫がのんびり寝そべっている)。
終わり・・・。
解説というほどでもない解説
今作のコンセプトをもう一度
この話のメインテーマは「人間」(人とも世間とも言える)であり、男女の愛や友情、子弟愛などが豊かに描かれます。
筆者はこれを「創世記」であると述べています。また、「人が神になるドラマではなく、神が人になるドラマを書いた」とも言います。「修行は、昊天が人類に与えた贈り物ではなく、人類の意思である」という言葉も出てきます。そしてキーワードは「一碗面条,也可以改变世界」 (一杯の麺が、世界を変えることもできる)。
最終章はやや難解で荒唐無稽とも思えますが、地球の創世記であり神話なのです。それを可能にしたのは、タイムトラベラー(転生者?)である寧缺が外界(未来)から登場したからです。
各勢力の中でも道門がわかりにくい
道門には、知守観や西陵があり、彼らがあがめる昊天がいます。これらの関係性は複雑ですが、勝手に整理してみます。
まず、昊天は道門の初代である「賭徒」(ドラマでは出てこない)が遙か昔に覚醒させ信仰の対象としたものです。このあたりの解釈は色々あるようですが、彼が発案した宗教システムが構築されたという設定のようです。桑桑も自ら、「人類が私を選び、混沌の中から覚醒させた」と言っています。昊天は神と通常解釈されますが、詳しく言えばこの世界のルールの集合体だということのようです。
「賭」という字にあるように初代観主は元ギャンブラーでした。(修行の後悟りを開いた)。なので、知守観に入る「符牒」は、未だに高利貸しに関係したものになっています。(七進十三出。おそらく7割で貸して6割増しの利息を取る?詳しくはわかりませんでした)。
このゆえに、知守観は道門すべてのトップです。西陵神殿は昊天を祭る組織で一国の体裁を持っていますが、それでも知守観よりは下。掌教はあくまで(雇われ)社長。知守観観主が創業家会長という感じでしょうか。
前述のとおり、結局観主陳某は失敗して死にますが、最後にかれは満足しています。悟ったということでもあるのでしょう。彼は純粋な悪役ではなくて、昊天の純粋な信仰者です。昊天がないと人間の秩序も揺らぐという信念があるので、昊天である桑桑が弱体化している現状を見過ごせなかったのです。純粋に自分が神になりたかったというより、世界のあり方についての信念からの行動だったということでしょうか。
ちなみに彼の名が陳某(なにがし)なのは、「どこにでもあり至って平凡」なことを指し、最終章では、この名前が彼も人類(一般大衆)の一代表であることを示唆していたと説明されます
莫山山は結局
ドラマの通り彼女は寧缺とは別れるわけですが、上記の通り紆余曲折あって、最後には葉紅魚と連れだってこの地球を去ります。最終章には葉紅魚は出てきますが、莫山山は名前だけしか出てきません。これがまた面白いところです。

ドラマでは描かれなかった、寧缺とのシーンで印象的なのは5巻90章のシーンです。これは桑桑をちょっと離れた所においてのシーン。(ドラマ化されなかった後半の話)以下はかなりおおざっぱな意訳であり、誤解もあるかもしれませんがあしからず。
彼女の茶目っ気と誠実さが現れた一幕でした。山山党(莫山山ファン)は著者に文句を言いましたが、著者は「男はこんなものだ」と説明しています。(著者は桑桑党)。ちなみに上記の「红墙白雪」は、莫山山のテーマ「莫望」の歌詞にもでてきます。2番?の頭部分の歌詞は以下の通り。
墨池有雨,我从书中来
红墙白雪,岁月满苍苔
▼莫山山のテーマ「莫望」。(著作権上消えないと思われるものを貼ります)
寧缺は完全にタイムトラベラーとしての自覚を取り戻す
最終部分では寧缺はもう完全にタイムトラベラーとしての自覚があります。
例えば、太陽が暗くなるのは「日食だ」と直ぐに指摘したり、地球の創世に関係して「猿からの進化論」について言及したりします。桑桑から「この世界があなたの言っていた世界なの?」と聞かれると、「月があるからそうだろうね」とも答えます。
大師兄が瀕死の重傷から回復した時の余帘との会話でも、寧缺について面白い話が紹介されます。(上記あらすじの日常が戻ったあとの部分)。
大師兄が余帘に「小師弟が『阿瞞』という人物を弟子にすれば、その人は即『無距』を会得するよと言っていたけどあれってどういう意味なんだろう?」というようなことを聞きます。「阿瞞」は曹操の幼名で、寧缺はタイムトラベラーなので三国志から生まれた諺「說曹操曹操就到」(噂をすれば影)をもじって言っていたわけですが、この世界の大師兄たちがわかるわけもありません。つまり「噂をすれば直ぐに現れる」ような凄い術を持っている(この話の世界で言う「無距」のレベル)と表現したのです。
ちなみに寧缺とは直接関係ありませんが、天書7巻の名前は李白の詩「日落沙明天倒開」の7文字からとられています。書き下すと「日落ち沙明らかにして、天倒(さかしま)に開く」(日は落ち、砂は月明かりに照らされて、水の上に逆さまに空が広がっている)となります。これは単純に著者が設定した元ネタということですが。
人間臭い終わり
葉紅魚はラストシーンで寧缺に「こんな女と一緒になるために世界を敵に回したわけ?」というようなことを言います。もはや以前の桑桑の面影がない女性に気を遣う寧缺に若干イラついたのでしょう。そして、葉紅魚が去った後、桑桑と喧嘩になった寧缺はイライラが高じて葉紅魚の言葉を思い出します。ちょっと後悔というか、やるせない気持ちになるのです。これは人間誰しもそんな時があるのではと思います。本気ではないにしても一瞬結婚を後悔したり、「なんでこんなことしてるんだろう」などと自分が情けなくなるわけです。売り言葉に買い言葉で思ってもいないことを言って傷つけることもあります。だからといって家族が憎くなるわけではなく、また一緒に生きて行くわけですが。この「将夜」という話は、結構そのあたりリアルでシビアなのですね。でもなんと言っても「人間っていいよね」という作者のメッセージがこもっているようです。
関係して、会話形式での最後の言葉は「你饿不饿?我下面给你吃啊」(お腹すいてない?なんか作ってあげるわ)という桑桑の言葉です。上記あらすじで述べたように、この「天然な」一言で、場が和んで二人は仲直りします。
これは後書きによるとチャウ・シンチーの「大内密探零零発」(邦題:008皇帝ミッション?)のオマージュだそうです。私も昔レンタル落ちのVHSビデオを買って見た覚えがあってとても懐かしいのです。
Prime Videoでも有料ですが公開があるようです。(『008皇帝ミッション』(字幕版))。
映画を思い出すと、映画の前半で、妻(劉嘉玲カリーナ・ラウ)と夫(チャウ・シンチー)が凄い喧嘩をして夫は「出て行け!」と妻に怒鳴り、妻は泣いて家を飛び出す場面がありました。しかし急に戻ってきた妻が「お腹すいてない?」と平然と聞いて、夫は唖然として自分の非を謝罪をし、仲直りをする・・というようなユーモラスな場面です。
著者はこの場面が大好きだそうですが、それを本作の最後にオマージュとして持ってくるのがまた著者らしいと思いました。
最後に
以上大変長くなりました。
ネット小説は長期連載なので、どうしても設定の細かい矛盾や変化などがあります。なので、あまりに細かく検証するのも無意味かとは思います。結局、著者猫腻の描いた今作は人間賛歌なのでしょう。ドラマも含めて、このような作品に巡り会ったのは幸せなことでした。
これ以上書くと無学をさらすことになりそうなので「将夜」の話題はここまでとしたいと思います。長文お読みくださり感謝いたします。
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