2024年に他ブログで書いた記事の引っ越し版です。再掲にあたって再編しております。
本記事はドラマ「慶余年」第1季と第2季のレビューです。
第二季も終わりましたので、第一季から第二季までの総合的な感想や分析を改めてまとめて見たいと思います。長くなりそうなので全3回となっております。次回以降は以下の通りとなっております。
以下かなりのネタバレがあります。また、貧弱な中国語力故の誤解の可能性もありますのでご注意ください。今作については、ちょっと厳しい評価になっておりますが、ご了承ください。
視聴回数などからも引き続き今季も大ヒット作なのは確かですが、意外に評価は割れています。豆辯のレビューで第一季が7.9、第二季が7.3(追記:2025.7現在)でした。第一季についてはかなり高評価が多かったですが、これだけの大作にしては伸びなかった気もします。私個人の評価を豆辯風に言えば、両季まとめて7.0ちょうどぐらいかと思います。
原作
このドラマは「将夜」でも有名な小説家猫腻の原作を映像化したものです。「慶余年」という題名は、「紅楼夢」の「留余慶」によるものです。広辞苑を引くと「先祖の善行のおかげで子孫が得る幸福。」と定義しています。この「紅楼夢」の言葉自体はさらに『易経』からの引用です。書名自体は若干語順などが変わって「慶余年」なわけですが、直接的には「余生が祝福されたものになる」「余生を大切に生きる」という意味があるようです。後述するように、この概念は主人公の生き方を規定するのものであり、ふさわしい題名と言えます。また、「慶」は主人公が第二の人生を送る国の名前でもあります。
2007年ごろからの連載ですから、もう20年近く前の作品です。なお、以下にまとめている原作の内容は改定等によって若干違いがあるかもしれませんので、悪しからず。
物語のあらすじ
以下は原作とドラマ両方を交えて、第三季にかかる部分は原作に基づいてまとめています。繰り返しになりますが、ネタバレが含まれます。
重症筋無力症を煩う現代の青年(名前は范慎)が、「転生」or「タイムスリップ」する話。ドラマでは劇中劇となっており、詳しい説明がぼやかされている。原作では以下のように説明されている。
主人公范慎は、身寄りも無く死を待つばかりの状態。お年寄りに席を譲ったり、友達や隣人と仲良くしたり、ちょっとした親切も心がけてはきたけれども、至って普通の人生だったと回想する。それ以上何かを成し遂げたという感慨もなく死んで行く自分を嘆き「善行が報われるなんてことは結局ないんだな」(これが題「慶余年」とも関連)などと思いつつ、最期を迎えようとしていた。最期を看取ってくれたのは、いつもお世話になっているかわいい看護師ではなく、「欧巴桑」(日本語「おばさん」の音訳。派生して色々な意味あり)だった・・・。
そして、臨終を迎えた彼が次にみた光景は・・・と、「転生」後の人生が始まる。
このあたりをドラマでは、タイムトラベルものが検閲を通らない関係で、劇中劇としつつ曖昧な感じで生まれ変わった子供時代へと突入します。(ドラマはできるだけ科学的な設定を持つ話にしようとしている)。物語全体の設定はかなり難解な部分もあるので、以下は原作の情報をふくめ、ドラマの内容と照らし合わせつつ、大まかな物語設定をまとめてみます。(この話はSFです)。
という話です。
原作とドラマ版との一番の違いは、前述のように検閲上直接のタイムトラベル設定は認められないために、「劇中劇」形式や科学的な理由付けを前面に押し出した点にあります。(氷河期や冷凍睡眠など)。ただ、第一季のころから指摘されてきたことですが、一見合理的に見えたこのような改変は、原作のファンタジックな設定(転生)以上に多くの疑問や矛盾をもたらすことになりました。果たして第三季で合理的に説明できるかに注目です。
母子ともに現代人のタイムトラベラーだったというのがこの話の肝です。(原作ではほぼ同じ21世紀の人間で、死亡時?の年齢も同じぐらいと思われる)。葉軽眉はこの話の最大の影のヒロインですが、彼女が世界を変えようとしたことの是非が焦点になっています。彼女の大きな影響力で大勢が救われ、死にました。急激な改革は大きな歪みを残す一方で、彼女の功績も次の世代の人たちに受け継がれて行きます。
葉軽眉の考察は、次回以降にまた。
本作の特徴
原作の范閑はいつも、「人はどう生きるべきなんだろうか?」と問いかけます。これは自問するだけではなく、直接いろいろな人に尋ねているのです。まさにこれがこの物語のテーマであり、彼は二度目の人生でそれを模索しているのです。残念ながら、このような側面はドラマではほとんど描かれません。
原作は長編小説で話も非常に複雑です。完全に男性向け作品であり、「中二病」「オタク」「猥雑」「東西のカルチャー」「古典」などの要素がつまった話です。同時にWeb小説でありながらも、文学的な評価が高いのも特徴です。随所で彼が現代人であることを意識させる言及があり、現代中国の芸能や文学だけではなく、日本の文学やドラマ、漫画も多く登場します。そのほか、思想、哲学など分野は多岐にわたり、著者の博学ぶりがわかります。(典拠がわからないネタも多い)。
主人公の行動原理は「自分と愛する人を守って生き抜く」というものですが、そのために大勢の人たちが死んでしまうところもあり、かなりダークな展開も多い作品です。公共配信(ドラマ)としては、色々と規制もありますので、そのままドラマ化はできなかったことは理解できます。(ドラマ版はかなりダークさを押さえている)。それでも、冒頭で書きましたように、『慶余年』という題名に込められた「平穏で『報われた』余生」を目指して話は一貫して進んでゆきます。
原作者の猫腻は范閑が好きではないと言っています。その理由は、自分をそこに投影しているからです。范閑はもともと普通の小市民です。生を貪り、死を恐れます。傲慢で残酷な面があり、女性にもだらしがない人間です。(本人曰く「前世では童貞のまま死んだ」)。読んでいて不愉快になる場合もあり、私も范閑という主人公はあまり好きではありません。でもそれは著者と同様に、自分の汚い面をそこに見るからなのだと思います。
原作とドラマで一貫しているのは、范閑は自分と家族のためなら何でもするという行動原理です。

ドラマ版について気になったことをいくつか
全体的に面白かったのですが、特に第二季については思うところも多かったので、いくつかまとめてみます。
キャスト
両季ともに主要キャストを始め、脇を固める名優達の演技は素晴らしいものでした。この点を批判する人は非常に少なかったです。
ただ、とにかく第一季から時間がたってしまったなというのが率直な感想です。5年のブランクは大きく、多くの俳優も年齢を経ました。もともと原作の主要キャストの年齢が若いことを考えるとなおさら「演者の年齢問題」は大きいと思います。
参考までに、范閑が都へ来た時点を基準にして原作における各キャラクターの年齢をまとめてみました。(各キャラクターの詳細は本レビューの3回目で詳しく解説しています。)。
ドラマ版は、年齢設定を少し引き上げているようですが、それでも第一季の時点でも演者の年齢は役とかなり乖離しています。そして第二季ではさらに5年経ったわけなので、同じキャストで続編を作る難しさを感じます。既にアナウンスされている第三季(2026,7年ごろ?)をどれだけ早く作れるかが勝負な気がします。(さらに演者の交代があるかもしれません)。
そもそも私個人としては、范閑の役に張若昀は合わないというのが感想です。原作の描写では、范閑はとにかく「美少年」でクールな雰囲気です。(しゃべると傲慢で下品)。張若昀はどちらかと言うと、「気のいいお兄さん」というか、親しみやすい俳優さんという感じなので、范閑というキャラとはかなり解離した感じがしました。もちろん、張若昀は良い俳優さんですし、ドラマだけ見ている分にはあまり違和感を感じないと思いますが、前述の年齢的な要素もふくめて難しい部分は色々とあると感じました。
同様に第二季の葉霊兒役の金晨は、綺麗なお姉さんという雰囲気になってしまって合わなかったと思います。(知名度も高く良い女優さんですが)。原作ではわんぱくで目の綺麗な少女なので、第一季の韓玖諾の方が(知名度は低いが)適役だったと思います。
しかし、全体的な配役の満足度は高い作品でした。
ふざけすぎ
一番多かった批判は、「あまりにふざけてる」「場違いなユーモアが多い」というものです。私も正直第二季のこの点が一番不快に感じました。脚本の王倦がコメディードラマが得意ということもあるのでしょうけれども、本来原作の『慶余年』はコメディーではないので、面白さはやはり薬味であってほしいです。今季は、シリアスなシーンや感動的なシーンにユーモアが「かぶって」しまい、せっかくの雰囲気が台無しという場面も多かったと思います。(音楽もおかしい)。
第一季は、そういう意味ではまだバランスが取れていたと思います。適度なユーモア、起伏のあるストーリー、適度な広告(今季は過度の広告で炎上した)などです。一季と比較してみると、特に撮影や演出の点で(同じ監督作品にもかかわらず)かなり質が低下していることも驚きです。(画質はいいけれども)。
ペース配分の問題など
第二季の最初の数話は、単に話数を稼ぐためにゆっくり進んでいるかのようでした。(間延びした印象)。もしかすると、第二季は三季へのつなぎという位置づけなのかもしれませんが、それでも30集以上あるわけですから、もう少し中身の濃いものであってほしかったです。
あと、致命的に問題だと感じたのは、「縣空寺暗殺未遂事件」で、皇帝が使い手(高手)だということをこの段階で示唆してしまったことです。(これまでも示唆する短いシーンがあったが)。皇子たちもしばし呆然としていましたが、原作では後半の四大宗師の決戦まで秘密です。これが早くネタバレしてしまうとそもそもこの話はなりたたないと思います。あくまで宮殿にいる「謎の」大宗師は洪宦官だと思われているはずなのですから。第三季にどうアレンジするのでしょうか。
原作の魅力を反映できているか
原作もドラマもどちらも魅力的な作品は多くありますし、媒体が違うわけなので、作りが違うのも当然です。しかし、少なくとも原作の基本的なテーマや雰囲気、主人公のキャラを壊さないという点は非常に重要だと思います。この点は昨今日本でも原作と映像作品の問題がニュースになったりしますが、原作へのリスペクトは重要です。
ドラマ版の改変は全体的に范閑のキャラをスマートに分かり易く整理し、「頼れる優秀な兄貴分」という、古装ドラマにはよくある設定にしています。古装ドラマのヒーローとしての「お約束」もきちんと踏まえた作りになっており、多くの人が「見やすい」作品になったのは良かったと思います。
ただ、せっかく規制がありつつも「転生風」(冷凍睡眠や記憶の埋め込みなど)という要素は残したわけなので、その辺の設定をもっと生かしてほしかったとは思います。普通は「タイムトラベラー」や「異世界転生者」の孤独というのも大きなテーマになるはずですから、面白さだけではなく、こういった主人公の心情を豊かに描いてほしかったです。(第三季に期待です)。
補足:林婉兒が指摘した漢詩
第二季最初の馬車の中のシーンで、林婉兒が引用した漢詩についてまとめてみました。これは詩の内容から海棠朵朵を思い出させるため、微妙な空気が流れた場面でした。補足として関係情報をまとめてみます。
昨夜雨疏风骤
浓睡不消残酒
试问卷帘人
却道海棠依旧
知否,知否
应是绿肥红瘦
【私約】
昨夜は雨も降り、風もひどかった。
夜が明けたが今も酔いは醒めない。
侍女に外の(海棠の)様子を聞いてみると、 海棠の花は昨日と同じだと言う。
(あんなに雨風に晒されたんだからそんなはずはないだろう)
侍女は分かっているのだろうか?
花は散って緑は濃くなることを。
宋の女性詩人李清照の「如夢令」(詞牌の一つ。女性の芸能から生まれたと言われる)が元ネタです。北宋から南宋の動乱期を生きた女性で、大変な苦労をしつつ文学活動をした人です。中国最大の女流詩人とも言われます。
中でも最後の句「緑は肥え、紅は瘦す」は有名で、今でも様々な場面で引用されます。人生には紆余曲折があり、永遠に不変のものなどないということが示唆されているのでしょう。
『慶余年』における意味はいろいろ解釈できそうですが、海棠こそ范閑の理解者であり、もっとも深い話ができる相手なのは確かです。(原作では范閑は結婚を迫ったが成就しなかった)。
次回:【その2:登場人物考察~范閑・葉軽眉編】に続く。