この記事は2010年の記事の引越版です。転載にあたって、加筆修正しております。
白髪魔女傳は、現在(追記:2010年現在)邦訳がありませんが、これまで何度か映画やドラマ化されたものが日本でも紹介されてきました。というか原作よりも映画の知名度が圧倒的かもしれません。今回は珍しくネタバレが少ないです。
映像化された作品
なので、小説の話の前に映像化作品について。
映画版でなんと言っても有名なのが、レスリー・チャンとブリジット・リン主演のものではないでしょうか。ひさしぶりに映画の方を先ず見返してみました。
映画は1993年の作品。邦題「キラーウルフ/白髪魔女伝」ですが、「キラーウルフ」・・なんともすごい邦題です。映画と原作とではストーリーがかなり違っています。映画の作りそのものは、一定の美学やテーマが貫いていると思うのですが、小説の世界とは異世界の雰囲気です。小説を読んだ範囲では、練霓裳は見かけは美少女(かなり若い設定)ですが、やり方は非常に苛烈な女盗賊というイメージです。映画では、ブリジット・リンの年齢(公開時39歳)もあるでしょうが、大人の女性で、見るからに怖そうな雰囲気になっています。(もちろん美しい女優さんなのですが)。
90年代の武侠映画ブームでたくさんの映画が量産されましたが、作品の質はそれらを大きくしのぐ物ではないと思います。ただ、衣装(ワダエミ)や、かけられた予算がすごいのでデラックスな作りにはなっています。元々原作を全く改編して作る予定だったようなので、今回ご紹介する原作とはある意味別物とも言えます。(これはこれでいいのですが)。当初主演に予定されていたのは(グリーンディスティニーでも有名な)ミシェール・ヨーだったそうですが、そのまま主演していたら、もっと違った雰囲気の作品になっていたかもしれませんね。
ちなみに個人的には、1995年の蔡少芬が練霓裳を演じたバージョン(テレビドラマ)が一番イメージにはまっていたかなと思っています。

小説
小説は、梁羽生によるもので、1957年から連載されたものです。梁羽生は金庸より1年先んじて武侠小説を世にだしており、新派武侠小説のさきがけとも言われます。
これは素人なりの感想なのですが、金庸の武侠小説は、中国語でも大変読みやすいと感じます。「~道」(~は言った)の台詞部分に注目すると結構読めたりします。「叫んだ」のか「怒って」なのか、「にこっと笑って」なのかなど「道」に付く言葉を確認しながら台詞を見て行くと雰囲気がつかめます。でも梁羽生の作品は結構読みにくかった記憶があります。これはもちろん、私の語学力の問題なので、梁羽生作品は高い教養に裏打ちされた質の高い文章という特徴があるのだと思います。
時代背景は明の万歴43年から始まります。万暦帝は治世自体は長いですが、何十年も内廷にこもって、政治を顧みなかったと言われています。当時は内廷と外廷(政治向きの場所)の区別がはっきりしていたので、政府高官でも皇帝の顔を見ないという状態だったわけです。(清代になるとまた変わり、内廷にも官僚達がかなり自由に入るようになる)。万暦帝の時代は、明の爛熟期でもあり、やがて斜陽の時代になります。特に北方の異民族との関係が複雑化しますが、このあたりの歴史がしっかりと小説にはめ込まれています。
あらすじ

この話は武当派の次期総帥卓一航と女盗賊で玉羅刹の異名をもつ練霓裳とのかなわぬ恋を描くものです。
映画と違い、小説では卓一航が登場するまでには少し時間がかかります。物語の最初は、彼の祖父であり高官である卓仲廉が、雲貴総督としての任を終え故郷へ帰る途中に練霓裳一党に襲われる場面から始まります。さらに、卓一航の父親は、中央の高官ですが、政敵に陥れられて処刑されてしまうのです。
卓一航は明の高官一家の子弟であると同時に、武芸にも秀でており、武当派の次期総帥とも目されていました。ある日彼は練霓裳(この名前は卓一航が後でつけたもの)という女盗賊と出会い禁断の恋に落ちます。当然伝統や建前を重んじる武当派の高弟達はこの恋に反対し、二人を引き離そうとするわけです。確かに彼女は盗賊仲間からも恐れられる残忍な武術の使い手ですが、彼女の生き方には義侠心や愛国心(民族主義でもあるが)が貫かれている点も見逃せません。この点が、射雕英雄伝の黄蓉と似てキャラクターに魅力を与えるものとなっています。そのため、金(後の清)と戦った名将熊廷弼と意気投合する場面もあり、歴史小説らしさも感じることができます。
伝統やしきたりに縛られ翻弄される卓一航と、練霓裳の奔放でありながら卓一航を一途に愛する姿勢が細かく描かれてゆきます。(愛憎でもあるのですが)。梁羽生作品の魅力は、前述のようにしっかりした歴史のバックグラウンドが取り入れられていることにあります。そのため、明末清初の雰囲気を感じながら読むことができます。梁羽生の作品は、大河的で登場人物が多く、ドラマチックな展開というより人の細かな感情に重きを置いている気がします。そのため、人によってはつまらないとか、分かりづらいという方もおられます。確かに金庸のような「血湧き肉躍る…」という感じではない作品もありますが、梁羽生ならではの魅力を堪能することができます。もう一度原作三部作を読み返して見ようかなと思う今日この頃です。(以前読んだ時はひたすら大変だったという印象でしたので)。
この『白髪魔女傳』は天山系3部作のうちの最初のものですが、少し前に3作目の「七剣下天山」が映画化された関係で、これだけ邦訳が出ています。ツイハークの同名映画の上映にあわせたものだった気がします。(この映画も原作とは別物でしたが・・)。ちなみに、作品の時系列的には、『白髪魔女伝』が一番最初の「原因譚」なのですが、実際の小説の刊行は『塞外奇侠伝』『七剣下天山』『白髪魔女伝』の順です。
いずれにしても三部作なので、全体に流れる、主人公たちの愛と葛藤を理解するには、順番に読んで初めてわかるのだと思います。
この記事を書くにあなってもう一度「白髪魔女傳」のVCD(!)を見たのですが、内容以前にもう20年近く前なのかと感慨無量でした。(追記:2010年時点で)。とりあえず、中国語の小説もいろいろ読み直して見ようかと思っています。
(2010年10月19日)
この記事からもう15年ほど経ちました。当時は金庸の次は梁羽生を読んでみようと、あれこれと手を出していた記憶があります。上記「天山系」の三部作(『白髪魔女伝』『塞外奇俠伝』『七剣下天山』)とか、『萍踪俠影録』『雲海玉弓縁』などでしょうか。とにかく長いことや、中国語力の不足で読むのが大変でした。
実はもうだいぶ内容を(小説も映画も)忘れかけていますが、とにかく私の場合は「天山系三部作」が面白かった記憶があります。要するに女性の恨みや悲しみが世代を超えて受け継がれて行く話でした。梁羽生の日本語翻訳がもっと出てくれるように願っています。