この記事は2023年に他ブログで書いた記事の引越版です。一部修正加筆しております。

ドラマも終わったので(追記:2023年時点)、感想を書きたいと思います。放送が終わって、中国豆辯のレビューサイトでは10点中7点台の評価でした。これを高評価とみるか意外に低いとみるかは人によると思いますが、私は話題作としては意外に伸びなかったと思いました。(豆辯はもともと辛口ですが)。
陳暁の最近の出演作品である「夢華録」の評価が非常に高かったので、本作への期待も高かったという事情もあるでしょうし、武侠ドラマ自体が冬の時代になりつつあることも関係していそうです。(古装ドラマでも、ラブコメディやファンタジー、純粋な歴史物は人気があるようですが)。
ネット上のレビューでは、俳優の演技や雰囲気は高評価であるのに対し、プロットや人物描写について不満を述べる人が多い印象でした。私個人も、最後まで楽しんだ割には、なんとなく「モヤモヤ」する部分があるという感想です。
それで、以下若干辛口かつ独断と偏見によるレビューを書いてみたいと思います。(中国語力の限界から不正確な部分がありましたらお詫びします)。また、多くのネタバレが含まれますので、ご注意ください。
作品について
主役の陳暁とヒロインの毛暁彤は、10年ほど前に「神雕侠侣」(陳暁主役でヒロイン小龍女役は現在の奥様陳妍希)でも共演していましたね。毛暁彤はたしか郭芙役でした。そう考えると、二人とももうベテランクラスの俳優になります。
監督の游達志は、「三国機密」などでも知られる香港のベテラン監督さんです。
原作は方白羽の「千門」シリーズです。15年ほど前に雑誌に連載されたものらしく、紙媒体の作品ということで最近多いネット小説とはまた違った趣があります。(2023年に再販されたようです)。歴史的には明代を背景にし、主人公が武芸ができないというかなり型破りな作品ですが、内容はいたって「武侠小説」で、「侠」の精神が強調されています。
ドラマ版は数年かけて大規模な改編を行い、原作を換骨奪胎したドラマになっており、原作ファンの間でも賛否両論ありました。ドラマと原作は分けて考えるべきだと思うのですが、原作をリスペクトした上でどれだけ生かせるかが重要なのだと思います。それが出来ないなら「原作」なしでオリジナルを作ればよいわけです。(もっとも商業的理由からネームバリューが必要な場合もあるようですが)。したがって、原作ファンたちが言うように、何でもありではないのも確かです。
原作冒頭のあらすじ
ここで簡単に原作の冒頭部のあらすじをご紹介いたします。(不正確な部分があるかもしれません)。この部分はドラマ版を評価する上でも重要な情報だと思いますので大まかに要旨をまとめてみます。
このように、原作はドラマとかなり違った設定になっており、ドラマは「千門」が分裂した「雲台」と「凌淵」の闘争と福王の陰謀を中心にした話に改編されています。原作でも福王の乱は大きな要素ではありますが、福王その人の出自などが大きなテーマになっており、ドラマとはこれもかなり違います。
千門、雲台、凌淵とは・・
この話は原作の題の通り、「千門」という門派が基本にあるわけですが、ドラマ版は前述の通り大きな改変をした結果、かなりわかりにくくなっています。ドラマ版の設定を簡単にまとめて見ますとこんな感じ。
元々「千門」という「門派?」があり、朝廷にも貢献していたが、後に皇帝に警戒され、弾圧された結果、反体制武闘派の「凌淵」と、ビジネスの道に進んだ「雲台」に分裂。以来この二つの派は対立している。
ドラマでは、この辺の説明が不足していて、視聴者を戸惑わせたところがあります。「原作冒頭のあらすじ」でも述べましたが、イメージ的に「千門」は、諸子百家のようなもので、この世の中を大きく動かしてきた存在という設定です。

良かった点
魅力的な俳優達の演技
なんと言っても、俳優たちの演技力でしょうか。好みはあるにしても、主演含め脇を固める俳優さんが本当に素晴らしかったです。個人的には、黄海冰や恵英紅といった武侠片のスターが見られたのも眼福でした。
キャラクター設定や演出の問題はあとで言及しますが、それでも魅力的なキャラは多かったです。戚天風や莫不凡はとても好きなキャラです。ヒロインについては毎度いろいろな意見が飛び交いますが、私は毛暁彤の演技や雰囲気がとても良かったと思います。
あと、今作では陳暁を始め、主要キャラの多くが吹き替えではないのもいいです。(柯夢蘭役の許齢月は吹き替え)。特に陳暁は声もいいので、これは良い点だったと思います。
豪華な撮影環境による映像の素晴らしさ
昨今は巨大豪華撮影所が増えて、日本の大河ドラマなどと比べるとうらやましい限りの映像です。雲襄伝では「横店」の巨大な撮影所が使用され、豪華な映像になりました。(ただ、CGはかなり手抜きで残念でした・・)。
時代考証的には、(特に服装などで)いろいろ問題の指摘はありましたが、大筋で明代の雰囲気が出ていたと思います。かつらも基本的にきちんとした総髪だったのが好印象です。(最後に主人公の髪が後ろに垂れたのが残念でしたが)。
原作にはないカップリングで改編したこと
原作での男女の構図は、「雲襄と彼を愛する女性たち」というものですが、ドラマでは原作にはない形で何組かのカップルが設定されています。原作では舒亜男も柯夢蘭も明珠郡主も雲襄が好きで、話はややこしく(長く)なるわけですが、ドラマでは蘇鳴玉と柯夢蘭、柳公荃と明珠郡主がカップルになっており、全体的にシンプルに整理されています。
ドラマの話数も限られていたので、この改編はとても良かったのではと思います。結果として、最後は基本的にそれぞれハッピーエンドになったのも良かったです。(原作も主人公とヒロインはハッピーエンドになりますが)。
残念だった点
1.主人公とヒロインのキャラクター設定の問題
今作は、36話と話数が限られていたので多くの情報が盛り込めなかったことは良く理解できます。ただ、やはりキャラ設定の「薄さ」や、描写の「粗雑」さは気になりました。
陳暁のアンニュイな演技は、彼の持ち味の一つでもあり(批判はあったが)、良かったと思うのです。ただ、表情などの描き方が不自然な(一貫していない)部分も多く、せっかくの彼の良さを十分に演出できていないと思いました。
そして特に原作との比較で気づいたのは、ドラマ版の主人公のキャラ設定では、主人公の背負っているものの大きさを十分描き切れていないという点です。
ドラマ版では、親や村の人達が殺され孤児になったという過去の記憶が敵討ちの動機です。これも十分悲惨なことですが、これはあくまで親の人生の問題が子どもに与えた悲惨な影響です。よくよく考えると、彼は「雲台」に引き取られた後15年間は不自由ない暮らしをしてきたことになります。(もちろん、その間も親の仇討ちを忘れない信念の人とも解釈できるが)。
一方原作では、家の没落などを経験しつつも純朴な士人として育った彼に、ある日この世の「不条理さ」や「理不尽さ」が一気に襲いかかります。許嫁を奪われ、信じた朝廷の法に裏切られ、罪人にされ強制労働を経験します。原作のキャラ設定では、親だけではなく自分の人生自体が狂わされる悲劇がそこにあるのです。
このように、原作版とドラマ版を比較すると、改編の是非は別にして、主人公が背負っているものの重さが違うことがわかります。
こう考えると、やはりドラマ版は主人公の背景設定が非常に浅いと考えざるを得ません。もちろん、これはわかりやすさを優先しての意図的な設定かもしれません。ただ、彼が人生の苦難を経験して考えを変えてゆく過程を描くには「浅い」設定だと思います。
同じことはやはりヒロインについても言えます。ドラマではヒロインの出自の問題が多くの悲劇を生みますが、それはあくまで「ロミオとジュリエット」のように、彼女が主人公の敵対勢力の娘だということに(主に)起因します。(復讐の要素もあるにはあるけれど)。
しかし、原作では彼女も主人公と同じほど多くの苦しみを背負って生きてきた設定になっています。そういう背景があったからこそ、二人が出会ったときに運命的なものを感じることになるのです。
結果として、主人公とヒロインの関係性がなんとなく薄い感じになってしまったと思います。メロドラマっぽいシーンはありますが、心のつながりがどうなっているのかはかなり描写が希薄でした。(後半雲襄が「やけ酒」を飲んでいる期間があまりに長いのもなんだか・・)。
2.脇役の描写に時間を使いすぎたこと
主人公やヒロインの描写が薄くなった別の原因は、キャラが立つ脇役が多いからかもしれません。前述の通り、ドラマ版は原作と違って、蘇鳴玉と柯夢蘭、金彪と天胡、蘇懐柔と銭栄など、カップル(CP)が多い話になっていて、そちらの描写にかなり時間が割かれていました。そして、どのカップルもとても良く描かれていて、主人公達以上に魅力的に描かれている気すらします。(主人公のカップルが出てくるととたんに萎えるというレビューすらありました)。その結果、主人公たちと脇役たちに費やす話の「濃淡」のバランスが悪くなってしまいました。
特に蘇鳴玉の話では主人公がほとんど出てこない回もありました。群像劇ではないので、これはやはりバランスが悪かったと思います。話数が50話ぐらいあれば解決されたことかもしれませんが、やはり36話ではアンバランスになったと思います。
3.プロットの回収が雑で、話の質も後半に崩れた
最初は凄くいいスタートでした。しかし、後半から雑になり、一部のプロットが回収されないままだったのも残念です。
例えば、戚天風は、名優王勁松が好演していますが、早い時期に退場してしまいます。ただ、そのとき死ぬわけではなく、再起するような雰囲気で退場するのです。でもそれっきり最後まで登場しませんでした。
蘇家の銭栄役の黄海冰は武侠ドラマのスターですが、結局詳しい情報が語られず終わってしまいます。(友情出演なら分かりますが)。彼は元々福王を調べる任務を負った皇帝側の人間のようですが、詳しい説明は最後までありませんでした。前半でかなり存在感を出していたので、最後にちょっと出てくるだけというのはバランス的に残念でした。(門主の正体をミスリードするための存在だったのかもしれませんが)
また、ラストで死んだはずの金彪が実は生きていたのは、それはそれで良かったわけですが、ちょっと唐突でした。通常はそのための伏線が必要ですが、それが欠如していたり、矛盾していたりします。さらに、自分の死を悼んでいる大切な人達を慮るシーンすらないのは残酷でもあります。(結局このあたりを丁寧に描写できないのが、今作の欠点だと思います)。もちろん、ハッピーエンドなのだから、うるさいことを言わない方がいいのかもしれませんが、これで生き返ってきたら「心配かけて!」とひっぱたかれそうな感じもしました。
そうは言っても、最終話のアクションシーンは良かったです!(わくわくしました!)。黄海冰の登場もまたかっこいい! まあそれだけに今少し丁寧に描いてほしかったです。
また、最終部分の門主の正体が分かる部分からの「雲台」についての描写もかなり忙しくなってしまった感じがします。よくわからない同門の弟子達がたくさん登場して死んでしまう・・など急展開でした。主人公と門弟同士の関係性は長い人なら設定上15年の付き合いがあるはずなので、そのあたりを丁寧に描ければ良かったと思います。本来、この話は「雲台」(原作では千門)の門主の伝記(雲襄伝)であるわけなので、このあたりの薄さは残念でした。
まとめ
だいぶ冗長な感想になってしまいましたが、結局楽しく最後まで見たのも確かです。今でも最終話は見返したくなります。ドラマ全体の質が均一ではなかったり、武侠と言うには弱いストーリーではありましたが、健闘したことは間違いありません。
欲を言えば、「古風」な武侠ドラマの陳暁も見てみたかったなと思いました。原作の雲襄は結構熱い人で、最後に大義のためにもっとも残虐な凌遅刑をも受け入れるほどのキャラです。(実際は死刑執行直前にヒロインが彼を偽装死させて救う)。このような原作の設定は、「武芸ができない主人公」だからこそ必要なのだと思います。ドラマ版では、最後に福王に知恵で勝利するのは確かなのですが、それでもなんとなく「傍観者」(影が薄い)という感じがするのが残念でした。
今回のレビューはかなり辛口にはなりましたが、名作までもう少し!という残念さによるものですので、あしからず! 陳暁の次回出演作にも期待したいと思います。
以上、長文お読みくださりありがとうございました。
(2023年6月25日)
▼原作(ドラマに合わせて新装再販されたようです)