毎度「天邪鬼」な大河ドラマレビューを書いております。批判的な分析を主旨としておりますため、世間一般の論調とはかなり乖離しているかと思います。そのため、ご不快に思われる方もおられるかもしれません。前もってお詫びいたします。(以下ネタバレも含みます)。素人の自由研究レベルでありますので、誤りがありましたらご容赦ください。
第28話「一帝二后」感想
「まひろ」の子育ての場面は、彼女らしいものでした。後に後冷泉天皇の乳母になる娘賢子の才はやはり母親譲りだったのでしょう。
ドラマではあまり強調されていませんでしたが、このころの道長は以前から体調不良が続いていました。一条天皇との関係は複雑化しており、道長が出した辞表に対する一条天皇の態度も複雑です。道長側としては、どこまで慰留され許可されるのかで一条天皇側の真意を探ろうとしますし、一条天皇側は道長の権力を削りたい気持ちはあるけれども、関係性が悪化しすぎるのも困るという感じでしょうか。
「一帝二后」についての一条天皇の気持ちはかなり揺らいでいて、周りは決まったと思っても、急に態度を保留したりもしています。ドラマでは、道長が日記を書いているシーンで、日記を黒く抹消している場面がありますが、これは事実で、『御堂関白記』長保二年(1000年)正月十日条(自筆本)は黒く塗られており、光で透かしてみると内容がわかるとのこと。1 この時期の道長は、一条天皇の煮え切らない態度に業を煮やしていたというところでしょう。
また、長保二年(1000年) 二月十一日の出来事もドラマ内で描写されていました。定子やその子に対する気持ちが抑えきれない一条天皇は策を巡らし、彰子が立后のために内裏を退出した翌日に、入れ替わりで定子を内裏に入れました。これにはかなり批判があったようですが、ドラマでも周辺の批判が(毎度ワンパターンな方法でではありますが)描写されていました。道長の『御堂関白記』のその日の記録には、「神事の日、如何」(神事がある日に、[定子を参入させるとは]如何なものか)と不満が書かれています。
ドラマ版定子については、かなりあっさりとした描写で終わってしまったという感想です。亡くなったシーンは、ナレ死とまではいきませんでしたが、かなり短いものでした。(史実では翌日の葬礼は道長によって実質妨害されいる)。
それにしても、相変わらず伊周はどうしようもない人ですね・・。
全体的に、演出のペースが悪い気がしました。前述の定子の死もそうですが、道長が意識不明の場面の描写も、どうも余韻が欠けるものでした。(勝手な感想です)。
続一帝二后の話~藤原行成の目線
「一帝二后」については、前回も取り上げました。
今回は、藤原行成の目線でこの時期を追って見たいと思います。
前年(999年)12月ごろから、彰子立后の話が本格化したようで、一条天皇は度々行成に相談しています。行成は道長の意を汲んで、一条や院(詮子)の間を飛び回ります。ドラマの行成の雰囲気は史実をよく表しているのかなとも思いました。
この時期の行成の行動を、歴史監修の倉本氏が以下のように解説しています。
この時以降、行成は彰子立后を正当化する理屈をたびたび一条に説いている。東三条院詮子・皇后宮遵子・中宮定子と三人いる藤原氏出身の后は出家しており、氏の祭祀、特に大原野祭を務められない。定子は正妃ではあるが出家入道しており、帝の個人的な私恩によって、中宮号を止めずに封戸も支給されているに過ぎない。尸禄素飡の臣(禄盗人)のようなものである。重ねて彰子を后とし、氏祭を掌らせるのがよろしかろう。定子が廃后となったらたいへんであるというものである(『権記』)。
倉本一宏『紫式部と藤原道長』 (講談社現代新書) p103
かなり踏み込んだ強い表現になっていますが、効果的な説得でもありました。その後、2月にはようやく彰子立后となりました。
このあと道長は病気が重くなり、様々な方法で病平癒を願っています。後事を行成に頼むほど弱気になっていたようです。さらには、「かつての政敵伊周を復位させれば病は癒える」と聞くと、驚くべきことに早速行成に言上させています。もうなりふり構わない状況になっており、相当の重病だったことがわかります。行成の日記『権記』にはその日のことがこう書かれています。
二十五日、辛丑。左府に詣づ。奏せらるる所の事有り。事、甚だ非常なり。是れ邪気の詞なり。「前帥を以て本官・本位に復さるべし。然らば病悩、愈ゆべし」(伊周の官位を元に戻せば病は癒えるだろう)てへり。此の次いでに亦、示されて(道長様)云はく、「此の由を申す次いでに、竊かに人の気色を見るべし(陛下の顔色もしかと観察してくるのだ)」と<此の詞、本心を以て示さるる所なり。>。先づ院に参り、此の由を啓せしむ。次いで内に参り、之を奏す。(天皇)仰せて云はく、「昨、済政を以て申さしむる所と同じ趣きなり。事、已に非常にして、甚だ言ふに足らざるなり。縦ひ平生に在るとも、非理を申すに於いては、承引すべからず。況んや今、不覚の病中なり。此くのごとく申す所、何ぞ許容有らんや。只、申す所の事を以てせば、相定め、追ひて仰すべき由を仰すべし」(大意:分かったけど、今は左大臣の病気が重いから許さない。ただし、伊周の件はそなたが良くなってから考えるよ)てへり。仍りて亦、詣で、此の由を仰す。霊気、初めより主人に託す。難渋の勅語を聞き、目を怒らせ、口を張る。忿怒、非常なり(この天皇の返事を聞いて、道長は激怒した)。
(道長様は)藤氏の長者にして壮年を奉り、已に人位を極め、皇帝・太子の親舅、皇后の親父、国母(詮子)の弟なり。其の栄幸を論ずれば、天下に比ぶるもの無し。而るに今、霧露、相侵し、心神、若亡なり。邪霊、領得し、平生にあらざるに似る。死は士の常なり。生きて何の益有らんや。事の理を謂ふに、是の世は無常なり。愁ふべし、愁ふべし。悲しむべし、悲しむべし。(大意:道長様は位人臣を極めたにもかかわらず、病に冒されて平生を失っている。死は人の常であり無常である。なんとも悲しいことだ)。
摂関期古記録データベース(日文研)『権記』長保二年(1000年) 五月二十五日条書き下し
自らの病平癒を願って、(政敵だった)伊周の官位を戻すように上奏しますが、天皇の返事はいまいちなものでした。道長はそれを聞いて激怒します。病平癒に必要なことが許されなかったことへの怒りなのか、伊周復位について一条天皇がまんざらでもないことがわかったことへの怒りなのかはよく分かりません。ただ、復命した行成は、病中の道長の平生を失った様子を見てため息をついています。この記述から行成が道長を「見下している」とする解釈もありますが、私は行成の人生哲学が現れているだけだと思います。道長ほどの人物が取り乱している様子を見て、人の最期は悲しいものだという無常感が表れているのだと解釈しました。
この頃には、道長と天皇の関係はかなりギクシャクしていたのでしょう。その間に挟まれた行成の心労いかばかりかと思います。
引き続き様々な災厄も続いていました。以前にも引用しましたが、翌月の日記にはこう書かれています。
近日、疫癘、漸く以て延蔓す。此の災ひ、年来、連々として絶ゆること無し。昔、崇神天皇御宇七年、疫有り、天下の人、大半、亡没す。時に天皇、其の祟りを知る。忽ち以て解謝し、天下を治め馭すこと百余年なり。而るに今、世路の人、皆、云はく、「代、像末に及ぶ」と。災は是れ理運なり。予、思ふに、然らず。(世間では「世も末である」、災いが起こるのも天の道理だ、と言うけれども私はそうは思わない)。・・(中略)・・今年の夏、招俊堂、災し、其の後、幾くならずして、応天門、壊つ。(※近年の災厄を挙げている)。皆、是れ怪異の極みなり。有識の者の定、応に見ゆる所有るべし。主上(一条天皇)、寛仁の君にして、天暦以後、好文の賢皇なり。万機の余閑、只、叡慮を廻らし、期する所、澄清なり。庶ひ幾ふ所は、漢の文帝・唐の太宗の旧跡なり。今、斯の時に当たり、災異、鋒起す。愚暗の人、理運の災を知らず。堯水・湯旱、免れ難し(中国の名君である堯も湯も、水害や旱を免れなかった)。忽ち白日蒼天に迷ひ、訴ふと雖も答ふること無き者なり(蒼天に答えを求めても、答えはえられない)。
摂関期古記録データベース(日文研)『権記』長保二年(1000年) 六月二十日条書き下し(括弧内筆者の適当な訳)
この部分の現代語訳や解釈は様々で、相容れないものも多いのですが、上記訳部分は完全は自己流です。ここで行成は、災いが治世の乱れから来るという儒教的な考えを「然らず」と述べ、「天人感応説」を薄め一条天皇を免罪する努力をしています。一条天皇を名君(賢皇)と呼び、中国の名君たちの治世にも災害は続いたではないかと述べます。ただ、後半部分を見ると「天人感応説」を完全否定してはおらず、天意がわからず困惑している様子がわかります。この頃には、一条天皇は政治をおろそかにしていたと思われますから、「名君」と評価するのはどうかとも思いますが、一条天皇に蔵人頭として忠実に仕える行成の気持ちの表れではあるのでしょう。
天災・人災は続き、道長は病悩、朝廷では一帝二后と極めて難しい時期でしたが、行成の優秀さも知ることが出来ました。
▼一条天皇と災厄については下記をご覧下さい
まとめ
今回は、道長の病悩や一帝二后、定子崩御など短い期間に色々なことが起こりました。「まひろ」は若干存在が薄くなってしまいましたが、これからが楽しみです。その意味では道長の存在もなんとなくぼやけている気がします。この時期以降の道長は醜い部分も多く露呈しますから、そういった部分をもっと前面に出す方がキャラクターの深みが増すような気がしました。
▼藤原だらけの大河ドラマなので、藤原一族の関係図を作ってみました。さらに混乱すること必定ですが、宜しければご覧ください。
- 倉本一宏「藤原道長の権力と欲望『 御堂関白記』を読む (文春新書) 2013年 ↩︎