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大河ドラマ「光る君へ」第14話感想

光る君へ

毎度「天邪鬼」な大河ドラマレビューを書いております。批判的な分析を主旨としておりますため、世間一般の論調とはかなり乖離しているかと思います。そのため、ご不快に思われる方もおられるかもしれません。前もってお詫びいたします。(以下ネタバレも含みます)

第14話「星落ちてなお」感想

遅まきながら感想をば・・。いよいよ兼家が亡くなり、兄弟の確執が強くなる時期に入ります。今回の感想は久しぶりに「天邪鬼」風なものとなっております。

今回違和感があったのは、明子の呪詛のシーン。史実云々は別にして、漫画チックで興醒めしました。この大河で常々思うのは、怪異や(現代的でいうところの)「迷信」の類を直接的に描きすぎることです。平安京は魑魅魍魎が跋扈していたとも言われるわけですが、それはそう信じた人たちの感じ方です。私は唯物論者ではないので、それを迷信だと否定したいのではなく、あくまで描き方にもう一工夫ほしいということです。

同じく違和感があったのは「陰陽師」に安倍晴明の描き方ですが、それは以下で別途書きました。

今回の大河のドラマ感想では度々述べているのですが、「まひろ」や道長の価値観があまりに現代的なことが気になります。特に、「民(庶民)に対する態度」についてはかなり違和感がありました。話としては「美談」であるわけなのでいいのでしょうけれども、歴史上の人物を描くドラマとしてはどうなのかなと思いました。

「まひろ」は字を教え、清少納言とは違った感覚が強調されていましたし、道長は「民」をしきりに強調します。主人公たちを美化するのは問題ないと思うのですが、その「美化」が時代錯誤な気がします。彼らはむしろそういった視点からは無縁の人たちで、紫式部はその著述からすると「庶民」を結構冷めた目で見ているところもあります。(道長は当然そうですが)。

話である以上、わざわざ「貴族様」として描けとは言いませんが、逆に「わざわざ」そういった場面を挿入する必要はないと思うのです。

一方で、今回よかったのは、玉置さん版「道兼」の迫真の演技でしょうか。発声も良く、素晴らしかったです。

陰陽師のこと

前述の通り、安倍晴明(ユースケさん演じる)の描写も違和感がありました。(以下あくまでも私の勝手な感想です)。晴明に伴う場面(赤い月とかの演出)も余計な気がしました。

文章で表現しにくいのですが、あくまでも私の勝手なリクエストとしては、平安時代の人たちが感じたことや信じたことを彼らの生活(や言動)の中で描写して欲しいのです。つまり、それを現代人の解釈や映像技術で直接描写しないほうが良いのではと思うのです。

もちろん、「史実」の安倍晴明については、一次史料に多く登場するわりには、分からないことは多いようです。特に前半生はほとんどわかりません。彼の師匠は陰陽道の大家賀茂保憲だったとも言われ、その息子賀茂光栄かものみつよしと、賀茂派陰陽道の「正統」を争ったと言います。後半生では、花山院や一条天皇に重用されたことが知られ、多くの貴族の日記などにも名前が登場しますから、著名な「陰陽師」(俗称ですが)だったことは事実です。

しかし一方で、当時の安倍晴明は数多くいる「陰陽師」のひとりに過ぎませんでした。当時の「陰陽師」としては前述の賀茂光栄や縣奉平あがたのともひららが活躍しています。また、朝廷や貴族たちの相談にのっていたのは、「陰陽師」だけではなく、他にも多くの「競合」関係にある組織がありました。神祇官、南都北嶺の寺院、祈祷師や治療師(医師)など様々な「組織」が独自の助言(占卜の結果、事の吉凶など)を上奏したり、祈祷をしたりしています。実際貴族たちも様々な人たちに相談していますので、「陰陽師」の世界は非常に「競合相手」が多かったとも言えます。

そのため、安倍晴明を初めとする「陰陽師」たちは、自らの権威を強調するために独自性を強調しつつも、場合によっては権力に(悪く言えば)「阿諛追従あゆついしょう」することで、自分たちの利益を確保しました。例えば、相談者に都合がいい結果を出すなどということもあったようです。(その際もきちんとした権威付けが提示できるかが重要だった)。1

前述の通り安倍晴明にとっては、賀茂陰陽道を嫡子相伝されている賀茂光栄(兄弟弟子)との戦いが最重要課題でした。貴族たちはやはりこの「嫡子相伝」を重んじ、賀茂光栄を「一道之長」(『権記』)と呼んで賀茂陰陽道の筆頭と認めていたわけです。

また、貴族たちにとって、彼らはなくてはならない存在である一方で、どこか蔑視している雰囲気があります。安倍晴明の死すら、『御堂関白記』『小右記』『権記』に記されていないのは、彼らの立場を示しているのかもしれません。2 

しかし、晴明は、こういった当時の貴族たちの「常識」に挑戦して、最終的に成功した人とも言えます。ドラマの時期の彼はもう高齢(晩年)であったと思われますが、陰陽寮を辞した後も、陰陽寮の役人たちを差し置いて下問を受けています。彼は「陰陽寮」(官僚)とは別に、独自の権威を持ち始めていました。その後、彼は伝説的な存在になってゆきます。

こんな解説がありました。

「術法ノ者」にして「才学ハ優長ナラ」ぬ晴明は、こうして「ものよく言ふ陰陽師」として、一方で吉備真備の神話化をもってした(「術法」本位の)あらたな陰陽言説、それを支える諸言説糾合整理のあらたな「才学」 (本文)を用意し、他方、自己語りによる自らの神話化をさまざまな局面ではかることで、宗家を呑み込む陰陽道家「晴明一家」の創設を企てたかのようだ。

竹村信治「史書・日記に見る晴明 <特集 : 陰陽師・安倍晴明とその周縁><実録世界の安倍晴明>」2002年

鎌倉期の「続古事談」で、「術法ノ者」(術式には長けている)ではあるけれども、「才学」(有職故実のような知識の蓄積)では劣ると評された安倍晴明ですが、この評価が史実の晴明に近いのかもしれません。(「ものよく言ふ陰陽師」は『枕草子』)。ただし、同時代資料では儀式を始め占術・天文・日時方忌勘申などの記録しかないようなので、「術法」についてはやはり後世のイメージではあるのでしょう。

このように考えると、今回の大河での安倍晴明の描き方はなんとなく不満があるのです。今回のドラマの時期にはもはや晩年を迎えていた晴明ですが、自分の立場を確立するために狡猾に立ち回る晴明や、権力に媚びへつらう俗物の晴明もみてみたかったです。後代のイメージより、その時代の生きた晴明を観てみたかったという勝手な感想です・・。まあ、あくまでも「紫式部」が主役ですから、限界はあるでしょうけれども。

当時の人たちは本気で怪異を信じ、占いや術式に頼って穢れをさけたいと願っていました。そのような中で、現実の人間たちがどのように立ち回ったのかを「再現」して見せてほしいなと思った次第です。このあたりは、まだ話の先が長いので、期待しつつ注目したいと思います。

まとめ

今回は、勝手な感想を並べてしまいましたが、物語が大きく動いてい行く今後が楽しみです。体調不良から、感想のアップが遅れ気味ですが、今後も宜しければご一読ください。お読みくださり感謝いたします。


紫式部と藤原道長 (講談社現代新書)
講談社
無官で貧しい学者の娘が、なぜ世界最高峰の文学作品を執筆できたのか?後宮で、道長が紫式部に期待したこととは?古記録で読み解く、平安時代のリアル

  1. 竹村信治「史書・日記に見る晴明 <特集 : 陰陽師・安倍晴明とその周縁><実録世界の安倍晴明>」2002年 ↩︎
  2. 竹村信治(前掲) ↩︎