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新大河ドラマ「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺」初見感想

べらぼう

新しく始まったNHK大河ドラマ『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺』の初見の感想を簡単に書きたいと思います。相変わらず「天邪鬼」な感想を書き殴っておりますので、ご不快にさせる場合もあるかもしれません。また、ネタバレもご注意ください。

初見の感想

初回視聴率は過去最低ということでしたが、王道の戦国モノでは無いとは言え「見やすい」ドラマではあると思います。ただ、昨今の時代劇の低迷を考えると厳しい気もします。(最近映画などはコミカルな時代劇がかなり作られていますね)。

先ず感じたのは、「今時の大河」という印象でした。雰囲気は『青天を衝け』に似た感じもします。個人的には、情緒豊かな『鬼平犯科帳』(吉右衛門版)のような世界観を見たいのですが・・・。

また、昨今の大河と同じく室内ロケやCGが最初からかなり使われているのは残念です。やはり前述の『鬼平』のように、屋外ロケや、作り込まれた屋外セットで撮ってほしいというのが正直なところです。まあ、スケジュールや予算などもあって難しいのでしょう。

スマホが登場するのは、(やはり好きではありませんが)「面白く」「わかりやすく」という意味でもありましょうし、メディアというテーマの大河ですからそれもいいのかもしれません。

吉原の描き方の問題

初回では、裸の遺体の埋葬場面が史実通りに描写されたことが話題になっています。私としては、ありのままを描くこと自体は大いに賛成です。良い面だけではなく、「悲惨さ」もきちんと表現してほしいとすら思います。

ただ、それを公共放送のゴールデンタイムの大河でそのまま描写すべきかといえばNOだと思います。もっと描写方法の工夫が必要だったでしょう。意地悪な言い方をすれば(いつもの「天邪鬼」風に言えば)、「歴史的事実は厳しいものだ」という大義名分の下に、描写をセンセーショナルにしたかっただけのような気すらするのです。もちろん演出の意図はわかりませんが、「NHKよくやった」とは決して言えません。(演じられた女優さんたちのご苦労も大変なものだったようですから、その点は別途評価されるべきでしょう)。

その時代の価値観をきちんと描写することは(物語はフィクションで娯楽作品であったとしても)大河の責任だと思っています。ただ、もし(あくまで私見ですが)それが視聴率のための(話題性を得るための)道具になってしまっては本末転倒な気がします。むしろ、映像として描かないことで、どう表現するのかが「粋」という気もします。(粋を論じる資格はない人間ですけれども)。もっとも、このシーンが本当に意味を持つかどうかは、今後の物語の描き方で評価すべきとも言えます。

繰り返しますが、私は歴史的事実をそのまま映像化すること自体に反対するものではありません。また、数十年前のテレビ時代劇(フィクション)は、吉右衛門以前の『鬼平』を始めかなり過激なものは多かったわけで、映像が過激かどうかを云々しているのでもありません。(池波正太郎は原作破壊とお怒りだったようですが)。

あくまでその作品テーマにあった表現方法であるべきということと、放送する媒体と時間帯を考えるべきということです。子供達が映像から受ける強い印象というものについて、私たちは時代と共に鈍感になってしまっているような気がします。小難しいことを抜きにして言えば、単純に家族そろって安心して見られない作品ということでもあります。

吉原は遊郭であり、西洋の娼婦館と意味的には同じであることをきちんと理解しておく必要もあります。あそこまでの描写をするのなら、多くの女性たちが不幸な人生を送った場所であることを(ただ文化として)美化したり描写するのではなく、きちんと最後まで表現してほしいとも思います。

いずれにしても、まだドラマは始まったばかりのですので、今後どんな展開になるのかを楽しみにはしています。江戸の生活の表も裏も「上手に」描いてくれるのであれば、大変意味のある作品になると思います。

江戸言葉の話

私が今回の大河で楽しみにしているものの一つは、「江戸言葉」などの話し言葉です。

たとえば、「べらぼう」という言葉は、そもそも大阪道頓堀の見世物から始まったとも言われますし1、花魁言葉なども元々上方の影響があるようですから、言葉というものは面白いものです。江戸っ子の口上で特徴的な「巻き舌」も、古くは1600年代にも記録はあるようで、これも上方起源説があります。2

いずれにしても、ドラマでどのように表現されるか注目したいと思います。

なお、関東(東国)の言葉の歴史は、以下の『東京語の歴史』がお勧めです。時代も古代から始まって現代に至るまでの広い範囲をカバーしているので、大変参考になります。(ちょっと難しいですけれども)。

東京語の歴史 (講談社学術文庫)
講談社
東訛りから江戸弁、そして東京語へ。その言葉は後に、人為的な「標準語」と、生活に根差した東京「方言」との間を揺れつづけなければならなかった。古代の東国方言のあり方、近世江戸弁が政治の中心地ゆえに日本各地ことばと融合し江戸語を形成するさま、そして標準語を整備される過程で生きた言葉の多くを犠牲にする東京語。その歴史を源内、西鶴はじめ豊富な資料で描き出す。(講談社学術文庫)

書店ではなかなか手に入りにくくなりましたが、「江戸言葉」に特に焦点を当てた参考書は以下がおすすめ。

べらんめぇ言葉を探る: 江戸言葉・東京下町言葉言語学
芦書房
江戸直系の1つのシンボル東京下町浅草。江戸から東京下町へ何が継がれ、何が消えていったのか。江戸言葉に下町言葉を重ね、言葉と気質と暮らしとが江戸から今へ移ってきた「べらんめぇ」の正体に迫る。

まとめ

江戸っ子が主人公の、「痛快娯楽劇」という感じで理屈抜きで楽しむのがよいのかもしれませんが、ついつい色々と勝手な感想を書いてしまいました。まだ始まったばかりですから、今年一年ゆっくりと楽しみたいと思います。

今年は毎話の感想は書かない予定ですが、何か書きたいことがあった時に雑記としてまた挙げてみたいと思います。


  1. 横田貢「べらんめぇ言葉を探る」 江戶言葉・東京下町言葉言語学 1992 ↩︎
  2. 横田貢「江戸言葉ゆかり現代語訛りのメモ : 日本語教育一資料として」 2013
    1686 笑話集(咄 本)の 『軽 口露が はな し』「手 をつ き巻 き舌 の口上 にて 申 ける」 ↩︎