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大河ドラマ「光る君へ」第18話感想

光る君へ

毎度「天邪鬼」な大河ドラマレビューを書いております。批判的な分析を主旨としておりますため、世間一般の論調とはかなり乖離しているかと思います。そのため、ご不快に思われる方もおられるかもしれません。前もってお詫びいたします。(以下ネタバレも含みます)。病気のため若干更新ペースが落ちております・・。

第18話「岐路」感想

道兼があっという間にこの世を去り、状況は複雑化して行く回でしたが、どうも道兼の描写が薄すぎた気がします。退場するのは史実通りで当然なわけですが、彼が「まひろ」の母を殺害するような「汚れ役」(この行為は「汚れ役」というより単なる横暴ですが)から、いわば「善人」に変化してゆく過程がうまく描き切れなかったと思います。ただ父に裏切られたという「だけ」ではまったく動機として足りないと思うのです。せっかくの玉置さんの上手な演技をうまく生かせなかった、という感じがしました。(もちろん、話の展開自体は望ましい方向性だったと思います)。

あと、伊周のシーンは、父親の道隆と同じく、あまりにワンパターンな演出な気がします。道隆以降の「中関白家」の「驕り」は有名ではありますが、ちょっと大げさ過ぎる気がします。風流な貴公子としても知られた彼の良さも同時に描写して初めて、「驕り」がリアルに見える気がするのです。

また、道長の「権力に興味ありません」アピール不自然な気がします。昔「まひろ」との約束で、権力者として人々の救いを目指すと決めたのではないのでしょうか。関白を目指さないなら、「民を救う」という「理想」も崩れ去るような局面なはずです。(中関白家が権力を握るので)。さらには、彼に望みを託して死んだ道兼も浮かばれません。この頃には、腹をくくってしたたかに「関白」を狙うぐらいの態度をしめしてほしかったです。(そういう演出を望みたかったです)。

演出の問題については、これまでも繰り返して申しあげていることなのですが、今回の演出家さんの演出は毎回どこか違和感が多いのです。前回は13話でしたが、やはりかなりの違和感がありました。そのときも申し上げたように、それは「軽さ」であり、練られていないという印象です。もちろん、やはり今回も脚本の問題なのかもしれません。しかし、先週の17話と比べると「画」(撮り方)だけでもかなりの違いがありました。これはかなり残念な部分でした。もちろん、これはあくまで素人の感想であり、私見に過ぎませんけれども。

「新楽府」の話再び

以前13話で、「紫式部」と漢詩文について取り上げました。(以下リンク内の「平安期の女性が漢詩文を詠まなく(読めなく)なった理由」という見出しをご参照ください)。

上記記事では、今回の話で話題に上がった『新楽府』を取り上げました。今回(18話)のドラマで白居易に詳しい「まひろ」が『新楽府』をこの当時知らないという設定はどうなのか若干違和感はありました。(つまり、この年齢で既に多くの漢詩文を熟知しているような設定なので)。1 ただ、彼女がこの『新楽府』に興味を持つというこのシーンは非常に重要だと思いました

重複するので、あまり詳しくは触れませんが、清少納言は白居易の雅な漢詩「香炉峰の雪・・」などで有名なわけですが、それにたいして紫式部(今後の「まひろ」の設定は不明ですが)は、(ドラマの時系列的にはずっと後、宮仕えしてからの話ですが)同じ白居易でも為政者のためのものである『新楽府』を道長の娘中宮彰子に講釈します。もちろん、漢詩や政治にも熱心だった一条天皇の歓心を買うという目的もあったわけですが、紫式部の学識あっての出来事でした。この史実(『紫式部日記』の記録)からすると、今回のドラマの場面が将来の伏線になっているのでは、と思った次第です。

『新楽府』についての詳しい点は、上記リンクをご覧下さい。

まとめ

今回は、ひさしぶりに「天邪鬼」発揮という感じで色々と厳しめのことを書いてしまいました。やっぱり演出の問題なのかなとも思いつつ、もう少し様子を見たいと思います。以上、所詮素人の戯言ではありますが、お読みくださった皆様に心より感謝申しあげます。


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  1. 「新楽府」の受容時期などについては以下の資料参照。後藤昭雄「嵯峨朝における新楽府受容をめぐって」2016年。など。 ↩︎