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大河ドラマ「光る君へ」第20話感想

光る君へ

毎度「天邪鬼」な大河ドラマレビューを書いております。批判的な分析を主旨としておりますため、世間一般の論調とはかなり乖離しているかと思います。そのため、ご不快に思われる方もおられるかもしれません。前もってお詫びいたします。(以下ネタバレも含みます)。病気のため若干更新ペースが落ちております・・。

第20話「望みの先に」感想

父為時が遂に不遇生活に終止符を打ち、淡路守・・その後大国越前守に「任地替え」される大出世を遂げます。その経緯は史実や説話・伝承をうまく織り交ぜて描写されていました。

有名な越前守任命の原因となったと言われる漢詩も出てきました。(史実性は議論あり)。ただ、これはあくまで為時の漢詩なのでで、「まひろ」が父に代わって・・というシチュエーションは果たしてどうなのだろうとは思いました。為時その人の詩才が語り継がれているわけであり、「まひろ」作だったとすると、ちょっと父親の立場がない気がします。父親の詩を写したなどの裏設定もあるかもしれませんが、劇中にはその場面がないことや、為時が「申文」で自ら積極的に言上してこそ意味があることなどを考えればやはり不自然でした。まあ、道長と「まひろ」の関係性やロマンスは物語上大事なので、話の材料としては必要だったのかもしれません。この点はまた後半で。

長徳の変による伊周ら「中関白家」の凋落は、まさに自業自得と言えます。妹が既に中宮であることを考えると、若いとは言え「驕り」がなければそのまま関白になれたかもしれません。いずれにしても、道長の人生にも大きな影響を与えた事件でした。(道長側からの攻勢もあったわけですが)。

今回印象深かったのは、越前守への任命替えが決まったあとの父娘の会話です。これまでの道長との経緯を話すことになるわけですが、「まひろ」の表情が非常によかったです。涙がこぼれそうでもあり、うれしそうでもあり、いろいろな感情が本当に上手に表現されていました。吉高さんの演技も「大人のまひろ」の演技に変化していると感じました。

塩野さん演じる一条天皇も高畑さん演じる中宮定子も、非常に魅力的ではまり役だとつくづく思いました。定子落飾~彰子入内と人間模様も大きく動いてゆきます。次回以降の展開にも注目したいと思います。

為時、越前守になる話

為時は当初、下国であった淡路守に任命されますが、後に大国(上国)である越前守に大抜擢されました。公式な記録としては『日本紀略』にこのように書かれています。

右大臣参内。俄停越前守国盛、以淡路守為時任之。
(右大臣参内す。にわかに越前守国盛をめ、淡路守為時を以って之に任ず。)

【大意】右大臣道長が参内し、突然越前守に任命されていた源国盛をやめて、淡路守に任命されていた藤原為時を(越前守に)任命した。

『日本紀略』長徳二年正月二八日条(書き下し、訳は筆者)

この『日本紀略』の記録は、28日の急な(「俄に」)人事変更を記したものですが、この年の除目はその数日前25日に行われていますから、僅か数日での変更でした。この地方官を任命する「春除目」は、道長が右大臣になって初めて上卿として努めたのものだったようです。

この出来事はかなり知られていたようで、これを元に色々な説話が生まれます。有名なのは『今昔物語集』です。ドラマでも出てきた漢詩を、その『今昔物語集』から引用したいと思います。ドラマではこれを「まひろ」が(為時の名で)書いたことになっています。(この点は前述の通り若干違和感あり)。

苦学寒夜 紅涙霑襟 除目後朝(春朝) 蒼天在眼
(苦学の寒夜 紅涙こうるい襟をうるほす 除目の後朝 蒼天眼に在り)

【大雑把な私訳】
寒い夜にも苦学してきたが、(不遇さに)失意の涙が襟をぬらしている。除目の後の朝に、天を仰ぐ私の眼には、ただ青い空が見えるばかりである

※源顕兼の『古事談』等ではドラマと同じく「春朝」

『今昔物語集』では、前掲の『日本紀略』や大河ドラマと同じように、「道長がまず感銘を受けて」人事変更を主導したということになっています。(ドラマではもちろん「まひろ」への愛情も関係していましたが)。『今昔物語集』では、取り次ぎの内侍が為時の申文(と漢詩)を天皇に見せようとしたけれども、寝ていたため天皇はその申文を知らないというすれ違いがまず描かれます。すると、道長があらためて一条天皇に漢詩を見せ、一条天皇も感銘を受けるという筋です。

さらに『今昔物語集』の結びでは、ひとえに申文の句を感ぜらるゆえ也」とあって、漢詩が感動を与えて人事を変えたという話になっています。他の説話では、不遇を嘆く為時の詩を最初に読んだ一条天皇が寝食を忘れて泣いたなど、いろいろなバージョンがあります。

今回のドラマでは、あくまで(私的感情もあって?)感動するのは道長で、一条天皇は為時の詩を、「天皇批判」と捉えているように感じました。そして詩の真意を問う一条天皇にたいして道長が、為時を越前守の適材として推挙します。為時の漢詩自体にあまり意味を持たせなかった今回の脚本は、現実的で非常に良かったと思います。

史実としては、「詩に感動した」というより、越前国での政治的なニーズがあり、漢詩文の才がある彼が抜擢されたということです。後述しますが、彼の詩(とされるもの)は、「寒夜」と「後(春)朝」、「紅涙」と「蒼天」としっかりした対句で書かれており、漢文の才が遺憾なく発揮されていることに注目できます。1 ちなみに監修の倉本氏は、この詩は漢詩ではなく、申文の一節かもしれないと言っておられます。申文という点は私も同意ですが、「漢詩ではない」というのは言い過ぎだとは思います。(漢詩は七言、五言だけではなく四・六文字もあるので)。

この『今昔物語集』を始め、『今鏡』『古事談』『十訓抄』『続本朝往生伝』などにも、微妙な違いはあっても為時漢詩とされるものだけは共通して掲載されている2ので、おそらく為時のオリジナルがあったからなのでしょう。

為時推挙に関係しては、大江匡衡、藤原行成、菅原輔正がバックにいたという研究者もいますが3、最終的には権力者道長がそれを決定したのは確かでしょう。

為時の漢詩の内容について

私は昔からなんとなくこの詩の「紅涙」に違和感がありました。素人の勝手な漢詩のイメージとしては、「紅涙」=「女性の涙」という印象があったからです。(男性の場合「血涙」という表現が中国の漢詩では良く見られるので)。調べて見ますと、きちんとした研究がありました。

まず、(当時の)中国における「紅涙」の意味について、以下のように説明されていました。

(晩唐の詩人)温庭筠の「紅涙文姫洛水春、白頭蘇武天山雪」の詩は匈奴から帰国した文姫の紅涙と蘇武の白髪の赤と白の色対であるが、「白頭」の蘇武については盛唐の詩人の李白が、陵と蘇武の別れを「蘇武」と題して詩を作っている。その詩に「泣把李陵衣 相看涙成血」という、蘇武が泣きながら李陵の衣を掴むとお互いの涙は血に変わった、という意の箇所があり、二人の別れの涙を「血涙」と表現している。以上のように、本来の中国の漢詩では「血涙」と「紅涙」は別のもので、「紅涙」は頬紅の化粧を施す女性の涙、「血涙」は男性の涙として表現され、中国では両者は混同されない。

鈴木織恵「平安中期の漢籍受容と『和習』 : 藤原為時の漢詩「紅涙」「蒼天」をめぐって」2024年(下線・括弧内は筆者補足)

ここで言う「文姫」とは、後漢末から三国時代の女流詩人である蔡琰のことです。戦乱の中で匈奴に拉致され現地で結婚しますが、曹操の配慮で帰還を果たすという波乱の人生を歩んだ人です。拉致や子どもとの離別などを詠んだ「悲憤詩」が残っています。蘇武は、もう少し前の前漢の人ですが、使者となった匈奴で長年拘留され、やはり現地で妻子を為した後に帰国した人です。

こういった波瀾万丈の人生が、後世様々な詩の題材になりました。彼らの「涙」が後世、男性=「血涙」、女性=「紅涙」と表現されるようになります。中国ではこのような明確な使い分けがあるため、日本の漢詩を詠むと不思議に感じることがあるのだと分かりました。

ただ、漢詩は日本に「輸入」されて、「日本風」にアレンジされてゆきます。特にドラマの時期である平安時代中期ごろには変化があったようです。おそらく漢籍に詳しい為時は中国における「血涙」と「紅涙」の用法の違いを知っていたと思われますが、あえて「紅涙」を使っているらしいのです。

実際平安中期以降は、男性でも「紅涙」を使うようになっていますし、紫式部も男性の涙をそう書いている部分があります。こうなった一番の理由はどうも「血の穢れ」を嫌う平安文化が関係しているようです。(男女の地位差など、諸説ありますが)。

漢詩での「血」の表現が避けられているのは、『今昔物語集』の「和氏之璧」(※完璧の語源となった故事)の話に「血涙」の話がなくなっていることからもわかるように、日本では「血涙」は中世になるにつれ、避けられるようになったのではないだろうか。

鈴木織恵「平安中期の漢籍受容と『和習』 : 藤原為時の漢詩「紅涙」「蒼天」をめぐって」2024年(括弧内筆者)

このように「漢詩」に和風の特色が加わる一方で、この時期新たにやってきた宋の商人とも対等に漢詩の応酬ができる国司が必要でした。前述のとおり、為時の(ものとされる)漢詩は美しい対句になったものであり、韻律にも詳しいことが反映された作品でした。道長らが高く評価したのは、その漢詩文の才能であり、それこそその当時越前守に必要とされた専門知識でした

この「漢詩文の才が認められて大国の越前守が交代!」というニュースは深く記憶され、後世に説話化されて『今昔物語集』のような形になったのでしょう。4

まとめ

相変わらず「天邪鬼」を発揮する機会を失っております。前回に続いて今回も、特別に気になったシーンはなく、大変面白く拝見しました。ただ為時の漢詩は、本人が作ったもの、本人の書いたものとして登場してほしかったですが、主役に花を持たせるということなのかもしれません。というより、道長が「筆跡を比較する」というシーンありきの話なのでしょう・・。(ありきたりではありますが、いいシーンでした)。

全体的に、よく配慮された回だったと思います。次回以降さらに波乱に富んだ展開になるようですので、楽しみにしたいと思います。


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講談社
無官で貧しい学者の娘が、なぜ世界最高峰の文学作品を執筆できたのか?後宮で、道長が紫式部に期待したこととは?古記録で読み解く、平安時代のリアル

▼藤原だらけの大河ドラマなので、藤原一族の関係図を作ってみました。さらに混乱すること必定ですが、宜しければご覧ください。


  1. 久保田孝夫「越前守藤原為時の補任」1980年 ↩︎
  2. 鈴木織恵「平安中期の漢籍受容と『和習』 : 藤原為時の漢詩「紅涙」「蒼天」をめぐって」2024年 ↩︎
  3. 久保田孝夫(前掲) ↩︎
  4. 鈴木織恵(前掲) ↩︎