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大河ドラマ「光る君へ」第31話感想|彰子のことなど

光る君へ

毎度「天邪鬼」な大河ドラマレビューを書いております。批判的な分析を主旨としておりますため、世間一般の論調とはかなり乖離しているかと思います。そのため、ご不快に思われる方もおられるかもしれません。前もってお詫びいたします。(以下ネタバレも含みます)。素人の自由研究レベルでありますので、誤りがありましたらご容赦ください。

第31話「月の下で」感想

いよいよ物語が動いて、大変面白い回でした。『源氏物語』執筆の経緯は諸説ありますが、ドラマは監修の倉本氏の著書にあるように、道長の政策の一環であったというストーリーになっています。史実としては、そもそも倫子の女房であった紫式部が、道長の命によって彰子の元に出仕したというのが蓋然性がたかい歴史なのかもしれません。天皇に献上するかどうかは別にしても、紙が大変高価だった時代に、長大な物語を執筆するには確かに支援者が必要だったことは確かです。ドラマでは道長が「まひろ」に「越前紙」を贈っていました。

今回一つだけ不満だったのは、『源氏物語』が書き始められる部分で、「天から物語が降りてくるかのような」演出(CGで紙が降ってくる)があったことです。もちろん、おそらく彼女の頭の中ではそうだったのかもしれませんが、ドラマの演出でそれをそのまま表現するのはなんとなく違和感がありました。(私の勝手な感想です)。これはたとえば、東野圭吾の『ガリレオシリーズ』のドラマで福山雅治がひらめく時のようなもので、そういった効果を狙った描写自体が駄目なわけではありません。ただ、なんとなく安っぽくなってしまった感じがしました。かといって私のような素人が、「こういう演出にすべき」などという案もないわけですけれども。(もう少し自然の描写を使うとか??)。

本当は実の娘(というドラマの設定)である賢子を抱く道長のシーンも良かったです。あとは、道長が「まひろ」の元を度々訪問することについての「福丸」と「いと」の会話――「すごいなこの家」「すごいのよ」――もなんか良かったです。

この頃の彰子

紫式部は十年ほど後にこのころを『紫式部日記』で振り返っています。そこでは、定子の時代(定子サロン)を懐かしむ人たちが多かったことが示唆されています。以下『紫式部日記』に記録されたこのころの彰子についてまとめてみます。本文と解説の引用は、『紫式部日記 ビギナーズ・クラシックス 日本の古典』 (角川ソフィア文庫) からです。

さるは、宮の御心あかぬところなく、らうらうじく心にくくおはしますものを、あまりものづつみせさせ給へる御心に、「何とも言ひ出でじ」「言ひ出でたらむも、後やすく恥なき人は世に難いもの」とおぼしならひたり。

【現代語】それというのも、そもそも中宮様は、全く完璧なお方であって、上品で奥ゆかしい、あまりにもご自分のお気持ちを抑えてしまう、そんな御性格。「口出しなどはしません」「口出しをしたとしても、信頼を寄せ切ることができる、万が一にも、自分たちが恥をかかないですむ、そんな女房なんて、まず存在しない」と考える、自分の「こうして欲しい」と欲する気持ちを抑え込んでしまう習慣が身にしみこんでおられるのです。

朝夕たちまじり、ゆかしげなきわたりに、ただことをも聞き寄せ、うち言ひ、もしはをかしきことをも言ひかけられていらへ恥なからずすべき人なん、世に難くなりにたるをぞ、人々は言ひ侍るめる。みづからえ見侍らぬことなれば、え知らずかし。

【現代語】この中宮様の後宮のように朝晩出入りして見飽きた場所については「ごく普通の会話でも気の利いた反応をするとか、風流な言葉をかけられて面目ある返答ができる女房はなあ、実に少なくなったものよ」と言っているようでございますわね。

彰子は繊細な女性で、自分を表に出さない性格でした。また、孤独で周りの女房たちをも信頼していなかった様子がわかります。(紫式部の主観ではありますが)。さらに、一条天皇を始め周りからも「昔はよかった」という定子時代を懐かしむ声があったことがわかります。

おそらくこれには、『枕草子』の貢献するところが大きいと思われます。清少納言は、定子の死後も『枕草子』を書き続けました。現在の『枕草子』の中には、最も年代の下るもので寛弘六(一〇〇九)年の情報が盛り込まれています。紫式部が『紫式部日記』を執筆する前の年まで、『枕草子』は書かれ、広められ、定子や女房集団の記憶を生き生きと人々の脳裏に刻み続けていたのです。 「本当に昔は良かったのかしら? 私は新参者ですから存じませんわ」。紫式部の口調には悔しさがにじんでいます。

この「解説」部分はは山本淳子氏によるものですが、『枕草子』が振りまく「定子サロンの亡霊」と戦う紫式部の様子がよく表現されています。

おそらく次回以降描写される彰子周辺の様子や、出仕した「新参者」の「まひろ」がどのように振る舞うのかに注目です。また、このような「繊細」な少女だった彰子が、第二の女院として成長する様子も楽しみにしたいと思います。

まとめ

今回は、全体的に大変面白い内容でした。いよいよ、『源氏物語』誕生です。私は漢詩漢文は学んできたのですが、『源氏物語』まったく不案内なので、この機会に勉強してみようかと思います。


紫式部と藤原道長 (講談社現代新書)
講談社
無官で貧しい学者の娘が、なぜ世界最高峰の文学作品を執筆できたのか?後宮で、道長が紫式部に期待したこととは?古記録で読み解く、平安時代のリアル