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大河ドラマ「光る君へ」第6話感想

源氏物語絵巻橋姫 光る君へ

引き続き天邪鬼なレビューを書いております。今回は、学術的というか歴史的な場面が多く、その意味では非常に楽しめました。今回も(浅学の身ではありますが)、気になることを書き連ねてみたいと思います。

第6話「二人の才女」感想

道長の日記「御堂関白記」の漢文のひどさは有名ですが、そのあたりのネタがさらっと話に出てくるのは面白いところでした。

今回から登場した清少納言ですが、演じるファーストサマーウイカさんが「以外に」合っていそうな気がしてきました。お名前とは違い和風のお顔で、時代劇にも違和感ありませんでした。好みはかなり分かれそうですが、あとは今後の演技でしょうか。ただ、実際二人が顔を合わせた可能性は限りなくゼロに近そうですが、記録がないことは「無かったこと」にはならないので、これもまた面白い対面だと思いました。

「漢詩の会」の詩

今回の「漢詩の会」で披露された漢詩が、ちょっと気になった(既視感があって引っかかった)ので調べて見ました。(訳と書き下しは載せていません。悪しからず)。

藤原行成は「権記」の作者。清少納言と交流があった人です。(ただ、「権記」には清少納言が登場しないのが不思議)。書の達人でした。登場した漢詩の筆跡も素晴らしい。

詩は白居易「独酌憶微之」で、彼が親友の元稹(ドラマ内で清少納言が言っていた「微之」)へ送ったもので、遠方の友人を思う詩です。(かなり年下の友人でしたが、非常に意気投合した)。「花の前で一人酒を飲みながら君を想う」という、風雅で切ない詩ですね。

獨酌花前醉憶君
與君春別又逢春
惆悵銀杯来處重
不曽盛酒勧閑人

藤原斉信は、漢詩や和歌に通じた人物としてしられます。こちらも清少納言と関係が深い人。彼の漢詩も、白居易「花下自勧酒」

酒盞酌来須満満
花枝看即落紛紛
莫言三十是年少
百歳三分已一分

藤原道長白居易でした。「禁中九日対菊花酒憶元九」より。「元九」というのも先ほどの親友元稹のこと。菊の花は、陶淵明が愛してやまなかったことから多くの詩人が取り入れています。この詩は、友人の元稹の菊の花の詩を受け手作られたものです。そのため最後に「一日中君の『菊の詩』を吟じている」と書いています。

賜酒盈杯誰共持
宮花滿把獨相思。
相思隻傍花邊立
盡日吟君詠菊詩。

藤原公任は「和漢朗詠集」の撰者でもあり、和歌、漢詩の第一人者です。(漢詩も大変うまい)。なので(?)、彼は自分のオリジナルの漢詩が使われています。日本の漢詩資料が手元にないので、ネットで論文を検索してみますと、「本朝麗藻」載録の複数人での連作詩、「夏日同賦未飽風月思」の中の2句と1、「冬日於飛香舎聴第一皇子初読御註孝経」の中の2句を合体させたようです。

後半の2句は、寛弘二年(1005年)の敦康親王の読書始めで「孝経」の講義があり、講義の後に、上述の「冬日於飛香舎聴第一皇子初読御註孝経」という題の作文会があり、その際に祝賀のために作られた漢詩です。2こちらも公任オリジナルです。おそらく唐の玄宗の欽定註「御註孝経」を使ったのでしょう。詩にも「貞観遺風」という言葉があります。日本にも「貞観」はありましたが、あまり良いことはなかったので、これは「唐太宗の治世の遺風」と称えているのでしょう。中国では「貞観遺風」というと唐高宗と武則天の治世を言う場合が多いようです)。

一時過境無俗物
莫道醺醺漫醉吟
~「夏日同賦未飽風月思」

聖明治迹何相改
貞観遺風触眼看
~「「冬日於飛香舎聴第一皇子初読御註孝経」

ただ、このように合体させてしまうと、韻のルールに会わない気がするのですが。(一句目)。せっかく漢詩の名手なのだから、もう少しいいやり方があったのではと思います。漢文は好きですが、専門ではないのでこれ以上は申しません。

一番気になったのは、「漢詩の会」で発表される漢詩が、公任以外オリジナルではないので、ただの鑑賞会なのではという点です。自作の詩を披露するならわかります。だからこそ、道長が「自分は苦手だ」と言っていたのではないのでしょうか。結局道長は、「詩魔」(勅封詩仙とも)とさえ言われる白居易の詩を発表します。もしこれが自分の詩という設定なら(このあたりの設定は不明)、「苦手」というのは大嘘になります。

そして、最後に公任の詩を褒めて終わるわけですが、そうなると前3首の白居易の詩はよくなかったのかという雰囲気になってしまいます。せめて、歴史に残っている彼らオリジナルの漢詩を使うなどの工夫がほしかったです。

もしろん、それぞれ本人の作だと思って見れば、ドラマの雰囲気にも合っていていいですし、訳文を読む柄本さんの声もいいわけですけれども。

ただその訳文ですが、ドラマの途中で音声がかぶってくるのが、風情を欠くものでした。一度最後まで読み上げたらよかったのになと。まあ映像であるからにはどこかで説明が必要ではあるわけですが。せっかくの「漢詩の会」なのですから、じっくり品評する場面があってもよかったかもしれません。

「散楽」について

このところ度々出てくる散楽師の直秀氏・・。まだ謎多き男ですが、彼が披露している「散楽」とはどんなものだったのでしょうか。簡単に調査したものをまとめて見ました。

奈良時代に中国から渡来した雑芸(ぞうげい)。軽業・曲芸・奇術・滑稽物真似などを含み,相撲すまい
節会せちえ・競べ馬・御神楽みかぐらなどに行われた。のち田楽・猿楽などに受け継がれ,猿楽能の母体ともなった。

大辞林

散楽はもともと中国古代からあるもので、音楽や舞踊を伴うものだったようです。唐代にはさらに変化して、「散楽戯」という「お笑い」の要素が強い芸能になります。この中国の芸能がどのようなタイミングで日本に入ってきたのかは諸説あります。また、中国でも唐宋の間に「散楽」の性質が大きく変化していることもあり、問題はさらに複雑になっています。

いずれにしても、基本的には上記の辞書の定義のように、中国から渡来した芸能だということは確かで、後にそれは猿楽~能楽へと受け継がれます。平安期の記録について少し整理してみます。

「散楽」についての平安期の記録
  • 880年
    宮中近衛府の舎人が「烏滸おこ人」を思い出させる散楽を演じる

    「三代実録」にある陽成天皇隣席の行事記録に「散楽」が披露されたことが書かれており、左近衛府の二人が散楽の芸を披露して笑わせたと言う。「所謂烏滸人近之矣」(いわゆる烏滸人とはこういうものだったのだろう・・)という一節があり、散楽が渡来のものであることが示唆される。

  • 929-967年
    村上天皇の「弁散楽」に「烏滸来朝」の記述あり

    藤原明衡(紫式部よりちょっと後の人)の「本朝文粋」巻3に修められている村上天皇の著作。「散楽之興其来尚矣」(散楽が起こり日本に伝来して久しい)とか、「烏滸おこ(原文:巾烏巾許。以後[烏滸])来朝自為解顊之観」(烏滸が来朝して、あごが外れるほど面白おかしい芸を(天皇の前で)披露するまでになったと、否定的に書いている。

この「烏滸おこ人」と言うのが何を指すのか、様々な説があります。ただ、言葉の意味はともかく、「来朝」とあるように、やはり散楽とともに「烏滸」が渡来したというイメージで語られています。つまり、平安前期には、「散楽」の伝来が回想されるほど定着していたということは事実です。

平安中期になると、上記表内の藤原明衡の別の著作「新猿楽記」で、猿楽(散楽)が様々な芸能を含んでいたことを報告しています。

浜一衛氏は、ここに、散楽と中国の「打夜胡」の関係を指摘します。3この「打夜胡」は鬼神に扮した乞食芸人が辟邪や鬼遣らいをする芸能娯楽を言います。4つまり、日本の「散楽」も中国の「打夜胡」の影響を受けており、縁起物や厄除けとしてのイメージをもちつつ、芸能として進化したとします。また、康保成氏が、中国の古典を調査し、「夜胡」が邪気を払う叫び声の擬音から来ており「邪呼」「夜胡」などとも書かれたとしました。その結果、邪気を払う行事が娯楽化したとのこと。5これを受けて、山口建治氏は、中国の「夜胡」が日本で「烏滸」と表記されるようになったとしています。(つまり意味と言うより、当て字)。「能楽形成の一源流である・・呪師と猿学者はもともとルーツを同じくする渡来の芸人集団『ヲコ人』だったのではなかろうか」6とまとめています。

この点は諸説あり、未だにはっきりとはわからないようですが、大変面白い説だと思いました。

いずれにしても、散楽は中国から渡来したものであり、日本独自の発展を遂げ狂言や能楽にもなって行きます。有名な狂言の演目で「附子」がありますが、これは古くは隋代に「和尚と小僧」という形で既に現れています。文化の交流史は大変興味深い一方で、果てしない規模の大きさを感じます。

まとめ

だいぶ話題が広がってしまいました。今回のドラマは、歴史や学術的に興味深いことが多くて、逆に他のドラマの内容を忘れてしまった感じがします。

引き続き次回を楽しみにしたいと思います。お読みいただきありがとうございました。


  1. 田中理子「大江以言の『「詩境』」2014 ↩︎
  2. 郭潔梅「『源氏物語』と唐の歴史と文学: 桐壺巻を通じて」2013 ↩︎
  3. 浜一衛「日本の玄翁の源流―散楽考」1968 ↩︎
  4. 根ヶ山徹「嗚呼の猿楽から狂言へ」2009 ↩︎
  5. 康保成「儺戯芸術源流」2005 ↩︎
  6. 山口健治「『散楽』日本伝来についての覚え書き」2005
    山口建治「鍾馗と牛頭天王」2010 ↩︎

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