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思い出の一冊「背教者ユリアヌス」(辻邦生)

思い出の一冊

この記事は2011年に他ブログで書いたものの引越版です。引越にあたって一部加筆修正しております。

久しぶりに「背教者ユリアヌス」読み返しました。ローマ史についての本は基礎知識の不足もあって、つい避けてきたところがあるのですが、今回は「一気に」読めました。もう40年(追記:2011年時点)も前の著作ですが、全く色あせていません。これほどの分量の著作を破綻なく書くというのは本当に難しいことと思います。

歴史的な背景

時代はキリスト教が迫害から公認された宗教へ変わってゆく西暦4世紀。歴史の授業でも有名なコンスタンティヌス大帝がキリスト教を公認し、その後を継いだ弟コンスタンティウス帝(名前がややこしい)と、その甥ユリアヌスとの確執を描きます。

主軸になるのは、公認されたばかりのキリスト教とローマの伝統的宗教の対立です。主人公ユリアヌスは、幼いときに叔父コンスタンティウスに父を殺され(その配下の軍が勝手に粛正したことにはなっている)、ローマの伝統的な宗教と、キリスト教の両方に親しんで成長してゆく。キリスト教勢力が宮廷内の多くを占め始めている時期なので、ユリアヌスも洗礼は受けることになるわけです。

キリスト教の美徳に惹かれつつも1、聖職者たちが権力の亡者になっていることや、官僚たちがいわば出世のためにキリスト教に宗旨替えしてゆくのを見て、矛盾と嫌悪を抱いてゆきます。そして、様々な運命に翻弄されつつ帝位に就くこととなり、最後は理想と現実の狭間で短い人生を終えます。彼は帝位にあった数年で急激な宗教改革を断行し、国民の離反を招きます。結局キリスト教を「捨てて」、ローマ古来の宗教の復興(正しくは太陽神崇拝)を図るので、キリスト教側からは「背教者」のレッテルを後世貼られることになります。

ユリアヌス帝についての後世の評価

ユリアヌス帝については、様々な著書や研究書が出ていますが、評価は様々です。キリスト教の側からは、最後のキリスト教弾圧をしたローマ皇帝として、前述の通り「背教者」と言われてきました。しかし、それはあくまでキリスト教からみての評価です。この辻氏の著作を始め、現代では再評価が進んでいます。

早い時代ではローマ帝国衰亡史の著者、エドワード・ギボン(本書の主要参考資料の一つ)は肯定的な評価をしていますし、辻氏もどちらかというと高めの評価をしています。もちろん、帝位に就いてからはきわめて性急な改革を行っており、帝国中の反感を買うことになりました。それらは彼なりの理想主義に基づくものであるわけですが、根回しも、時間的余裕もなしに進められた改革はすぐに挫折に至ります。最後は無理な遠征を断行して、戦死します。このような悲劇性と当時の大きな潮流にあらがった姿勢(物語)が、現代でも共感を呼ぶのかもしれません。

本書の簡単な感想

本作は 『廻廓にて』のような「私」語りの話ではなく、歴史物語のように語られて行きます。その意味では井上靖の作品のように、小説というより調査された資料に基づくノンフィクションというイメージがあります。(時系列的には井上靖の路線を踏襲という感じ)。ただ最初に読んだときには(物語は大変面白いが)若干無味乾燥な感じもして、これはどういうことだろうかと考えておりました。それで今回読み直した機会に、ちょっと論文検索をしてみましたら(便利な時代になりました)、既にその部分を深く論じた方もおられ2、「無味乾燥」と勝手な印象をもった自分の浅学を恥じた次第です。

この小説を読んで、人の上に立つという仕事は本当に難しいものだなと改めて感じます。高邁な理想を掲げても、それを実現するのは非常に難しいですし、あまりに現実主義的でも味気ないというジレンマもあります。最近の震災報道(追記:2011年の)などを見ていて、自分も政府にいろんな不平や不満を感じてつい口に出してしまうのですが、国家を経営するというのは、私ごときが言うほど簡単なことではないですよね。政治家には政治家の重い責任がある一方で、日本はローマ帝国と違って国民主権なわけですから、政治の不具合は自分たちの責任でもあることになります。民主主義の時代に生きる自分が、国民の一人としてどのように声を上げてゆくべきなのかなどということも、思わず考えさせられました。

ユリアヌスについての研究も様々なものが続いており、更新されてゆく部分もあるとは思いますが、今後もずっと読み継がれて行く一冊であることは間違いありません。

(2011年4月24日)

この引越記事ももう10年以上前のもので、内容も今思えば稚拙なものですので、どうか(小学生並の)読書感想文としてお読みください。

ちなみに私は75年版の文庫本(ぼろぼろ)を持っていますが、2017年には冒頭写真のように装丁も変わり3巻から4巻に変更になっています。(巻末付録が付いているとか)。

ユリアヌス帝は、ただ感情的にキリスト教に反感を抱いて宗教改革を実行したわけではありません。彼の生きた時代が、時代の変革期だったということが一番大きいのでしょう。キリスト教が公認されたとはいえ、まだ古来の宗教も各地で根強いものがありました。現在のアルジェリア北部で発見された碑文には「自由とローマ宗教の復興者」という賛辞が書かれています。他にもユリアヌス像に「祭儀の復興者」と書かれたものもあるそうです。3 またキリスト教内部でも一定の評価はありました。アウグスティヌスは彼を「背教者!」と批判しつつも「抜群の才能を持っていた」と述べています。4

この時点ではまだキリスト教公認であり、国教化までには時間があります。こういった「揺り戻し」があるのも歴史の必然ではあるのでしょう。

いずれにしても、(記録を見る限りでは)彼は決して暗君ではありませんでした。後世、彼はどちらかと言えば、「キリスト教」「背教」という角度から注目されるわけですが、私としては彼の政策や政治的な後世への影響の方に興味があります。このあたりはこれから勉強してみたいと思います。

キリスト教徒からすれば「背教者」と言われ続けることになりますが、それはある意味で「勝者」の側からの評価です。彼の治世は非常に短いものでしたが、もしもっと長生きしていたら・・などとつい考えたくなります。ちなみに、関係していつも思うのは、もし信長が長生きしていたら、日本のキリスト教史は変わっただろうか・・ということです。歴史に「もしも」はないとは言え、こういう「空想」にもある程度学問としての意味があるのではないかと考えたりもします。


今読書中の参考書がこれ。ユリアヌスの歴史的評価や言及から、辻氏の著作まで詳しく分析されています。比較的新しい本ですが、余裕があればまた感想を書きたいと思います・・。


  1. 彼はローマの宗教の神官たちに、ユダヤ教徒やキリスト教徒(ガリラヤ人と呼んでいる)が、信者だけではなく非信者たちの貧者たちをも救済している様子を指摘し、我々の宗教も見倣うべきだと叱責している。 ↩︎
  2. 福井和夫「『背教者ユリアヌス』論 : 語り手の造形から」2007年
    「『背教者ユリアヌス』は紀元四世紀のローマ帝国という壮大な時空間を舞台に取り、叙事詩的体裁と立体的な構成を持つ近代小説として、歴史小説に新しい地平を切り開いた作品となったのである。」 ↩︎
  3. 後藤篤子「ローマ帝国の「キリスト教化」をめぐって :ローマン=アフリカの場合」(法政大学史学会)1992年 ↩︎
  4. 「アウグスティヌス著作集 (第11巻) 神の国1」(教文館)1980年 ↩︎