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「花粉症と人類」(小塩海平著)書評

世界史

私はひどい花粉症なのですが、この季節(春)になる度にずっと昔の「コンタック鼻炎」のCM、「なぜマーティンは杉の木を切ったのか・・」を思い出します。(私の気持ちを代弁してくれたCM)。そんなこともありまして、今回は「花粉症の歴史」についての本をご紹介します。(書評というほどたいしたものではありませんので悪しからず)。

花粉症と人類 (岩波新書)
岩波書店
目はかゆく,鼻水は止まらない.この世に花粉症さえなければ――.毎年憂鬱な春を迎える人も,「謎の風邪」に苦しみつつ原因究明に挑んだ一九世紀の医師たちの涙ぐましい努力や,ネアンデルタール人以来の花粉症との長い歴史を知れば,きっとその見方は変わるだろう.古今東西の記録を博捜し,花粉症を愛をもって描く初めての本。

題は「花粉症と人類」(岩波新書)。著者の小塩氏は東京農大の教授であり植物や生態系の専門家。「植物側に立った?」論考でもあり、花粉症発見(解明)の歴史を詳細にまとめています。従って、花粉症の原因や治療法を医学的に詳しく論じるものではありません。決してセンセーショナルな内容ではなく、学問的な事実が紹介されています。著者がライフワークとしてきた、スギとの共存のための研究や、研究者としての哲学もきちんと主張されているので、当たり障りのない論調になっていないことに好感が持てました。

以下、いくつか興味深かった点をご紹介したいと思います。

概観と感想

第1章「花粉礼賛」では、花粉そのものについての研究史が語られます。世界で初めて花粉の記録を残しているのは、ネヘミア・グルーという人の「植物解剖学」(1682)や、マルチュロ・マルピーギ「オペラ・オムニア」(1687)とのこと。これは顕微鏡の発明などによって、「花粉」というものを実際に顕微鏡で見て観察して記録可能になったという意味でもあります。日本では、18世紀後半江戸時代の農学者大蔵永常とされます。

「花粉」という日本語訳は、幕末シーボルトに学んだ伊藤圭介の「泰西本草名疏」(1829)によるとのこと。(ただ、意味は違うが「花粉」という言葉自体は化粧品と思われる意味で万葉の時代からあった)。

第2章「人類、花粉症と出会う」では、ホモ・サピエンス以前の話から始まって、花粉症自体は古代から存在することが述べられます。そういう意味では、「現代病」と言い切ってしまうこともできないようです。

記録上最も古い花粉症患者については、あくまで記録上でしか確かめられませんが、様々な説があるようです。(文献の解釈にもよるので)。ある学者は、ヘロドトスの記録から古代ギリシャのアテネのヒッピアスだとします。(著者の小塩氏は証拠不十分としている)。また、「聖書」の記述を挙げる学者もいるらしいですが、これまたトンデモの域を超えないようです。あるいは中国漢代の「黄帝内経素問」という医学書に出てくる「春の鼻炎」が花粉症を指すという説もあるようです。

信憑性のある記録としては、9世紀末のペルシャの医学者ラーゼスというのが有力とのこと。「バラ風邪」という症状を論じて、「春バラの香りを嗅ぐと鼻炎になる」という論文を書いています。つまり、「バラによるアレルギー性鼻炎を認識した最初の医者」と著者は述べます。(これは現象や経験則としての結論)。1

第3章「ヴィクトリア朝の貴族病?ーイギリス」では、ようやく花粉と病状が結びつけられてゆく歴史が語られます。1819年イギリスでジョン・ボストックによって「夏カタル」として発表されます。(この時は、夏の暑さが主因とされた)その後1870年代には、ドイツの研究者フィリップ・ヒューブスの研究調査や、イギリスのブラックレイの実験によって、経験則ではなく科学的に花粉が原因であることが確定されます。この章の題にあるように、「貴族病」と言われたこともあったようです。

第4章「ブタクサの逆襲ーアメリカ」では、花粉症の一大中心地となったアメリカの研究などが扱われます。19世紀から行われた大規模な「ブタクサ撲滅運動」についても語られます。除草剤をまけば耐性を獲得してさらに繁茂するという悪循環もあったようです。そのようにして「スーパーウィード」となったブタクサは世界へ散って行きます。

第5章「スギ花粉症になることができた日本人」は、面白いタイトルです。20世紀に入って花粉症が爆発的に拡大しますが、特に日本人は「スギ花粉症」に悩まされることになります。

日本で「公式に」(現象としては古代からあるのでしょうけれども)花粉症患者と報告されるにいたるのは、1961年に「ブタクサ花粉症」、1964年に「スギ花粉症」とのこと。

この章の題の「なることができた」という言葉に関係して、免疫学者の多田富雄の免疫についての説明を「花粉症」に当てはめて、こんな風に述べています。(この部分は表現が難しいので、本書の説明をさらにお読みになるようおすすめします)。

免疫学的に解釈すれば、単に周囲のスギ花粉が量的に増加し、侵入してくる「よそ者」が増えたことによって排除機構が作動するようになったというよりは、日本人の免疫的「自己」の内部にスギ花粉アレルゲンのイメージが内在するようになり、「非自己化」する仕組みが獲得されたと言った方がよい。つまり、「よそ者」であった花粉は、今や日本人の「自己」と表裏一体をなす「非自己」になったのである。

また、「文藝春秋」1986年6月号で斎藤洋三(1964年に初めてスギ花粉症を報告した人)が、「スギ花粉症は日本人の証明」と述べていることも挙げています。スギ花粉は、日本人と切っても切れない「縁」があるということなのでしょう。そいういう意味でも、「なることができた」という表現をユーモアを交えて使っているようです。(私には皮肉にも聞こえますが)。

この章では、花粉症に悩まされた(と思われる)ごく初期の日本人の記録も扱われています。たとえば、日本人でも20世紀初めには移民の間でかなり花粉症と思われる症状が知られています。有名なところではテニスの熊谷一彌選手。1921年のデビスカップで「枯草熱こそうねつ(hay fever)」の鼻づまりで苦戦したことが知られています。2

最後の第6章「花粉光環コロナの先の世界」では、花粉症に対する著者の考え方や「哲学」、研究歴などがまとめられています。また、近年の研究についてもいくつか言及されています。

私が心に残ったのは、「病気を根絶させるのではなく、病気と共存し、病気から学ぶことを考えた方がよい」という言葉でした。「撲滅」は新たな脅威を生むということでもあります。

スギ花粉への対策研究や将来への展望についても言及されています。「杉は日本の宝」だということが強調されており、農学や生態系の専門家らしい結びとなっています。また、本書は2020年のコロナ禍が始まったころの刊行ですが、花粉が多く飛んでいる晴れた日に太陽光に一瞬照らされて現れる「花粉光環コロナを眺めよう!」、という勧めの言葉が最後に載っています。アレルギーの辛い晴れた日に、ちょっと空を眺めてみようかとも(ちょっぴり)思いました。

そんな、「杉愛」に富んだ本書を読んで、「切り倒したい」と考えた自分を恥じております・・。花粉症の歴史だけではなく、人類学的にもいろいろ考えさせられる内容でした。


  1. ほかにも、1565年にはイタリア人医師レオナルド・ボタロ(Leonardo Botallo)が「バラ風邪」に言及している例がある。平凡社「世界大百科事典」、およびWikipediaドイツ語版より。 ↩︎
  2. 住田朋久「熊谷一彌、日本初のオリンピックメダリストにして花粉症患者 : 花粉症の歴史と人類学にむけてて」2020年 ↩︎