PR

大河ドラマ「光る君へ」第25話感想

光る君へ

毎度「天邪鬼」な大河ドラマレビューを書いております。批判的な分析を主旨としておりますため、世間一般の論調とはかなり乖離しているかと思います。そのため、ご不快に思われる方もおられるかもしれません。前もってお詫びいたします。(以下ネタバレも含みます)。素人の自由研究レベルでありますので、誤りがありましたらご容赦ください。

第25話「決意」感想

越前編も終わりを迎えようとしています。越前紙のシーンは、公式ページによればかなり考証されているようですね。こういった文化的な描写はうれしいところです。

ドラマは長徳3年(997年)前後の出来事が描写されているようです。一条天皇が、出家した定子を職曹司に遷御させるという(当時の社会通念からすると)「スキャンダル」が発生します。この時の藤原実資の日記は以前引用しました。

今夜、中宮、職曹司に参り給ふ。天下、甘心せず。「彼の宮の人々、出家し給はざるを称す」と云々。太だ希有の事なり。

【私訳】
中宮が職曹司にお移りになった。天下は感心しなかった。あの宮の人たちは、「中宮は出家してなどいない」と称しているらしい。 はなはだだ希有な事だ。

『小右記』長徳三年(997年)六月二十二日条。摂関期古記録データベース(日文研)の書き下しより

このあたりから一条天皇の政治離れが進んで行くようですね。ドラマで実資が日記を書くシーンがありました。18日で丙午というのは時期的に整合性がない気がしますが、これは日記の空白部分をフィクションで埋めているのでしょうか。(知識不足ですいません)。実資らしいシーンではありました。

ちなみに上地さん演じる兄道綱の滑稽な様子も印象的でした。同じ時期(翌月)の実資の日記を見ると、こんな嘆きも見られます。

万事推量するに、用賢の世、貴賤、研精す。而るに近臣、頻りに国柄を執り、母后、又、朝事を専らにす。無縁の身、処するに何と為んや。

【現代語訳】
万事を推量すると、賢者を用いる世では貴賤の者が研精する。ところが近臣(道長)がしきりに国柄(国政)を執り、母后(詮子)がまた、朝事を専らにしている。無縁の身(実資)は、どう処すればよいのであろうか。

『小右記』長徳三年(997年)七月五日条。
書き下し:摂関期古記録データベース(日文研)。
現代語訳:倉本一宏『紫式部と藤原道長』

このころ、道長は異母兄道綱を大納言に任じており、実資は官位において先を越されました。道綱はドラマの通り「無能」な人物として知られていたので、実資の憤りもよくわかります。涼しい顔をして道長はこのドラマの時期には、自らの政権地盤を着々と固めつつあったのです。ただ、実資もさすがは大人で、日記では不満を爆発させつつも、実際の政治の世界では道長を非常に尊んでいました。

天変地異が続く様子と、優雅な(世事に無関心な)「定子サロン」の様子が対比されていました。こう考えると、雅な平安文学の背後には、貧しく災害に苦しむ一般民衆がいたことも忘れてはならないのでしょう。

ラストでは、道長の筆跡ではない漢詩と婚礼祝いが贈られます。おめでたい文句が羅列されていますが、あえて自分で文字を書かず距離を取ることで、「まひろ」が結婚しやすくしたのでしょう。ただ、それで気分を害して(がっかりして)宣孝に手紙を送る「まひろ」には、ちょっとがっかりではありました。あの演出では、「まひろ」が道長の気持ちがわからない人という感じになっていました。(これまでもこういう描写は繰り返しあった)。ここは、彼の気持ちを汲んで決意するという方がよかったなと思いました。(「まひろ」の表情からすると「気持ちを汲む」という部分がうまく表現されていなかった)。もっとも、これはかなり「天邪鬼」な見方ではありますが・・。

再び白居易『新楽府』「采詩官」

「一条朝と災厄」の問題については過去にまとめました。

一条朝の時代は自然災害や人災などが度々起こりました。自然はどうすることもできませんが、ドラマでも言及されていたように治水など政治の怠慢による人災という側面もありました。

為政者は常に民を思って政治を行うべきという考えは、上記リンクでも論じた「天人感応説」のような儒教的な考えと共に日本でも大きな影響力を持っていました。(理想論という側面もありますが)。

後半で「まひろ」が、白居易『新楽府』の「采詩官という詩を読んでいるシーンが一瞬映りますが、ドラマの内容ともマッチしていて、工夫されているなと感じました。

「采詩官」というのは、古代中国に置かれていた、民間の詩を収集する官職です。つまり、今で言えば「民情調査」や「世論調査」のようなものに当たります。つまり為政者は民の声に敏感でなければならないという儒教的な思想です。周の時代に置かれた官職と言われますが、現実にこのような官職があったのかは諸説あります。ただ、古代から詩が非常に重視され、民の様子を知ることこそ天子の重要な役目だという認識は共通しています。史実としては漢の武帝の時代に「楽府」が設置され、詩の収集がなされたことは分かっています。

「まひろ」がちょうど読んでいた部分(ドラマに映っていた部分)を一部引用してみます。

君之堂兮千里遠 君之門兮九重閟
君耳唯聞堂上言 君眼不見門前事
貪吏害民無所忌 奸臣蔽君無所畏


【大雑把な私約】
天子の宮殿は民から遙か千里も遠く離れており
天子の門は民に対して九重の(宮殿の)奥にざされている
天子の耳はただ宮殿の百官の言を聞くだけで
天子の目は市井の民を見てはいない
貧吏は民を害してもまったく罪悪感がなく
奸臣は天子を覆いかくして畏れる所を知らない

白居易『新楽府』「采詩官」より

『新楽府』は、白居易30代後半の作とされ、不遇時代の激しい政治的主張が特色です。(しかし後の老年期の作品は政治的色彩が弱まり、あきらめや厭世感が強くなる)。君主は民の様子を知るよう努めるべきであるという彼の強い主張が伝わってきます。(もちろん、文盲の人も多かったわけで、詩を書いたり詠んだりできる民は限られてはいたでしょう)。

『源氏物語には白氏文集の『新楽府』の影響が色濃く表れていると言われます。1 なので、ドラマの折々にさりげなく登場するのは、なかなかうまい演出だなと思いました。

まとめ

「まひろ」が越前から帰ってきて、いよいよ新しい生活が始まるようです。朝廷でも大きな動きがありそうですが、「長徳の変」からまだ1年ほどしか経っていないのですね。(だいぶ時間が経ったように思ってました)。今後の政治的な展開も楽しみです。


▼藤原だらけの大河ドラマなので、藤原一族の関係図を作ってみました。さらに混乱すること必定ですが、宜しければご覧ください。



紫式部と藤原道長 (講談社現代新書)
講談社
無官で貧しい学者の娘が、なぜ世界最高峰の文学作品を執筆できたのか?後宮で、道長が紫式部に期待したこととは?古記録で読み解く、平安時代のリアル

  1. 目加田さくを「源氏物語の白氏文集受容 —諷諭詩の場合」1982年 ↩︎