PR

大河ドラマ「光る君へ」第11話感想

源氏物語絵巻橋姫 光る君へ

毎度「天邪鬼」な大河ドラマのレビューを書いております。批判的な分析を主旨としておりますため、世間一般の論調とはかなり乖離しているかと思います。そのため、ご不快に思われる方もおられるかもしれません。前もってお詫びいたします。(以下ネタバレも含みます)

第11話「まどう心」感想

今回も「天邪鬼な」・・と申しましたが、意外に今回は良かったのではと「素直に」評価しております。まず、間の取り方や映像(撮り方)が非常に美しく、平安時代の雰囲気が良く表現されていたと思います。天皇の即位の儀式や装束についても良く考証されていました。(もちろん素人目ですが)。

白居易の「長恨歌」の書写シーンはとても良かったです。左利きの吉高さんが、右で筆を握るのも大変だったと思います。

毎度のラブシーンは不要(あくまで私見です)と思いましたが、道長の怒りやもどかしさがとても良く表現されていました。「まひろ」が正妻か妾かにこだわったのも、彼女ならではのプライドなのかもしれません。この点、彼女の態度に若干の違和感はありましたが、今後の物語の描写に答えがあるかもしれないと、保留にしております。(平安期の結婚についても、詳しく調べて見ようと思っています)。

彼女自身は、日記などに道長との関係をいろいろと「匂わせて」いますが、実際はどんな関係だったのでしょうか。「尊卑分脈」(室町時代)の「紫式部」についての註には「御堂関白道長妾」とあります。これはおそらく紫式部日記の記述などから推測されたものでしょうけれども、真相はわかりません。「紫式部日記」と「紫式部集」(家集)とでは微妙に表現が違うのもまた色々な想像をかき立てます。1

父為時が失職し、この後10年に及ぶ長い不遇時代を迎えます。紫式部の結婚も史実では今回のドラマの時点からおよそ10年ほどあとのことのようです。藤原宣孝(佐々木蔵之介)がお相手ですが、かなりの年の差婚だったようですね。

彼女が彰子の元に出仕するまでには、まだ20年の歳月があります。ドラマはその月日をどのように描くのでしょうか。このあたりは史実としては分からないことが多い時期なので、楽しみです。


▼ちなみに、藤原だらけの大河のための系図を作っております。ますます分からなくなるかもしれませんが、ご参考までにご覧下さい。

一条朝の体制

ドラマでは一条朝の最初の「人事」については、さらりと紹介されていました。実際はいろいろと事情があったようです。

兼家が摂政になるには、前天皇が譲位と同時に命じる必要がありましたが、ある種のクーデターで権力を手に入れた為にそのような手順を踏むことができませんでした。それで、花山天皇出家の翌日に「先帝譲位之礼」を行い(「日本紀略」より)、兼家に摂政を命じたことにしたようです。

同時に問題になったのは、花山期まで関白を務めていた太政大臣藤原頼忠(橋爪淳さんが好演)の処遇です。彼はこの時点でもまだ兼家(右大臣)の「上官」でした。ドラマのように野心がある人でもなく遠慮して出仕を辞めていたようですが、やはり「目の上のたんこぶ」でした。そのため、兼家は一ヶ月後に右大臣を辞職し、「摂政兼家の席次を太政大臣より上とする」という宣旨を獲得します。こうして、「無官の摂政」という地位が誕生します。2

「生首事件」の話

ちなみにドラマに出てきた一条天皇即位の際の「生首」の話は、「大鏡」の「太政大臣藤原道長・雑々くさぐさ物語」に出ています。(史実ではないでしょうけれども)。

さきの一條院(一条天皇)の御即位の日、大極殿(の)御装束すとて人々集まりたるに、たかみくらのうちにかみ(髪)つきたるものの、かしらの血うちつきたるを見つけたりける。あさましく、いかがすべきと行事おもひあつかひて、かばかりの事をかくすべきかはとて、大入道殿に、「かかる事なむ候ふ」と、なにがしのぬしして申させけるを、いとねぶたげなる御けしきにもてなさせ給ひて、物もおほせられねば、もしきこしめさぬにやとて、また御けしき賜はれど、うちねぶらせ給ひて、なほ御いらへなし。(括弧内は筆者補足)

大意(おおざっぱな私約ですいません)
一条天皇の即位の日に、高御座の中に血の付いた生首(物の怪)が出現したという。行事(儀式を司る人)が、これは大変と大入道殿(兼家)に、人(なにがし)を介して報告したけれども、眠ったままで(寝たふりをして)何も仰らないまま。・・

「大鏡」(太政大臣藤原道長雑々くさぐさ物語)より

この記述の続きで兼家は、(狸寝入りでしょうけれども)目ざめると、平気な顔で「もう宮殿の準備(飾付け)は終わったの?」(御装束は果てぬるにや)」と聞くのです。つまり、「そんなことは起こらなかった(聞かなかったことにする)」という示唆であり、わざわざご注進した「行事」らは、「言わなきゃ良かった」と後悔するという話です。

ドラマでは、箝口令を敷いたのは道長であり、「現実の生首が置いてあった事件」として描かれていましたが、この大鏡の記録では「怪奇現象」として書かれているようです。3(解釈は色々あるようですが)。つまり、「頭部だけ」の物怪が出たわけなので、実物の首を「捨てに行く」必要もありませんでした。大鏡で問題になっているのは「血」の穢れという以上に、大切な儀式を前に怪異な出来事が起きたことそのものにあるようです。一方で、ドラマでは純粋に死体(の一部)が置かれていたことで、死の穢れを忌んだということです。平安京では野ざらしの死体が多く、宮殿内に死体があって大騒ぎ・・というようなこともあったようです。

いずれにしても、大鏡が強調しているのは、兼家(ドラマでは道長)の怪異を恐れない豪胆さということです。史実かどうかは別にして、兼家の姿勢は当時としてはかなり型破りで、怪異をねじ伏せるような気概を感じます。(ドラマの場合は「穢れ」を黙殺する姿勢)。もちろん、彼は平安時代の人間であり、現代人のような意味で「怪異を気にしない」わけではありません。引き続き、安倍晴明ら陰陽師や祈祷師は、藤原一族にとって重要な役割を果たし続けます。

平安時代の「穢れ」についてはもう少し勉強したくなりました。


▼平安貴族についてよくまとまった本です。80年代の本の復刻なので、内容は若干古いですが、扱われている内容(項目)がとても面白いです。

平安貴族 (平凡社ライブラリー0901)
平凡社
『源氏物語』の舞台ともなり、千年以上も続いた貴族の世界。生活・政治のあり方、太政大臣・女院・里内裏の変遷など、その実態を解き明かす。1986年刊の名著、待望の復刊。

まとめ

今回は「天邪鬼」がかなり消化不良でしたが、正直良い回だったと思います。やはり、しっかりした歴史設定やスケールの中に、フィクションを自由に、そして巧みに配置する物語を見せていただきたいと思います。次回を楽しみにしたいと思います。


紫式部と藤原道長 (講談社現代新書)
講談社
無官で貧しい学者の娘が、なぜ世界最高峰の文学作品を執筆できたのか?後宮で、道長が紫式部に期待したこととは?古記録で読み解く、平安時代のリアル
  1. 山本淳子「紫式部ひとり語り」p188 ↩︎
  2. 「天皇の歴史3」 (講談社学術文庫) ↩︎
  3. 塚原鉄雄「大鏡構成と怪異現象」1984 ↩︎